kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「バンクシーの絵」

ウクライナの壁に「体操」「柔道」「シーソー遊び」等を描いたバンクシー
噂されているように1人で描いたのではなく2人以上で(※但しプロデュースは1人 本人? 私は気になる作家について敢えて調べません 純粋に作品が見たいので)

それも型紙を使ってスプレーも用い 猛スピードで描き上げたと推定されます
おそらく バンクシーの名声はさらに高まり 作品の値段も更に一段上がるでしょう
しかし バンクシーは金を稼ぐために描いているのじゃない と思われます
このことが彼を「現代作家」たらしめている理由の一つなのだと思われ
爆撃を受け 残骸となった壁に描く行為自体が「作品であることの最重要素」と思われます

昔風に言えば「環境芸術」だとか ナントカ言いそうな人がいそうな気がしますが
建物何でも包んじゃう「クリスト」とは異なるアプローチの環境芸術であり 
ストリートアートの一つの完成形と言えそうな気がし

ダダイズム」のから派生した系譜の一つと判断します

 

アニメ漫画なら 今では人間よりもAIの方が上手に描けるそうで
もう既に「上手さや写実性が自慢になる芸術の時代」は終わっています
絵画は基礎訓練を必要とする音楽よりも 一歩先を歩む歴史がありますので
音楽も将来「ド下手音楽」もしくは「テクなどどうでもいい音楽」が流行するでしょう
絵画 もしくは視覚芸術はもうそこら辺は完全にイっちゃってる状態が現代なので
黒板にスンげーリアルな絵を描く人 とか写真と見まごうばかりの鉛筆画 等は全く興味がありません むしろ「黒板でなければならない必然性」の方を問われるのが現代絵画です

 

バンクシーにとっては「何を描くか」だけでなく 壁のシミもヒビも作品
何より ”そこにあること” がストリートアートの真髄
この絵が更なる爆撃で瓦礫になろうが 真っ黒に塗りつぶされようが 作者は気にも留めないでしょう
なので 「現代絵画」

ニクらしい。お見事です 

3色の灰色の壁を使うところなんかが「才能」で 中央の柱の使い方は俊逸

 

そう考えると 芸術ってのが何なのか スゴイ作品ってどんなのか混乱しそうです


近頃の私の写真はこんなのです

ガードレールによって近景と遠景しか見ることができず 

中景はガードレールで隠れているので 写真の呈を為していません だから撮りました

 

…とこのように世の中 何がダイアモンドの原石として埋まっているのかわかりません

ですから 漫然と日常を生きていてもそれに気づかないので

「日常」は家かアパートの中の平和程度に止めておくのがよろしいかと…

 

kei