「ダダ」とは”玩具の馬”という意味なので 全く意味をなさない
マルセル=デュシャンが パリのアンデパンダン展(無審査でどんな作品でも展示する)で
『泉』という題名で この作品を出品したが展示を断られた
R.MUTTという女性と思われる作者のサインもデタラメだが 何より問題となったのが
「作者当人が作っていず 買って持ってきただけ」だからに他ならない
1917年に発表された この作品がダダイズムの開幕だった
ダダイズムは詩や小説等文学界にも影響を及ぼした
戦後1950年代「ネオダダ」という一派が生まれた ラウシェンバーグやジャスパー=ジョーンズ
ジョーンズの作品が私はとりわけ好きだ
[Flag] 1954~1955
これは「絵」ではない。「旗そのもの」なのだ
[Map] 1961
これは「北米地図」である。 描いてはいるが「絵ではない」
A.ウォホールのポップアートからも「ダダ」を感じることがある
「印刷物とホンモノの垣根を曖昧にした」という点で
バンクシーを「ダダイズムの系譜の一人」と呼んだのは
・作品に恒久性を持たせる気持ちが感じられないこと
・ストリートアートなんだから売る気が無いこと
・「自分の絵画」に金銭的価値を見出さないことなど いろいろある
こうして考えると 半世紀に1回程度のサイクルで「ダダイズム」が顕れる
ヒンドゥ神「シヴァ」の役割を果たすような作家が
その向こうにあるモノは何かわからないし どんなふうに変わるのか見当もつかない
視覚によって認知の90%を司る「ヒト」
現代芸術がどうかわるか まだわからない…
しばし 経過を見守ることにしよう。
kei