kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「絵を描く」理由

若い時にどこで読んだか忘れたが、AnalogとDigitalの比較についての記述があった。

2つの言葉は色んな解釈ができるが「腕時計」を例にしてもいい。

2種類の時計は、表示も全く異なるが「特性」が異なると言っていい。

デジタル時計は”正確な今を数として示す” これに対しアナログ時計は”正確ではないが、時間を量や長さとして捉えるのに適している”

別な言い方もでき「絵」の場合、大まかに言えば「表出」と「伝達」を目的としたモノが混在している。2万年前に呪詛のため描かれたと言われるラスコーやアルタミラの洞窟壁画は「表出」を目的としている。対してポスターや宣伝に利用される絵は「伝達」を目的としているため、伝わらなければ意味が無い。(近年はこの類別も難しくなっているが…)

こうしてアナログ・デジタル問題を考えると以下のようなことが成り立つ。

アナログ⇒  表出そのものが目的 大雑把 イメージ優先

デジタル⇒  伝達を目的 「言語」の発生理由は伝達のため 正確 計算が基盤

…とは言え 互いに可逆的に働くケースも当然起こり デジタルとして生まれたはずの言語がアナログに近づくと「俳句や短歌、詩」といったものになり、現代の絵画は多くがデジタルに近づいていると言っていい。

柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」欧米育ちの人にはこの良さを理解するのは難しい。

またアナログはイメージもしくは先入観に影響を受けやすい。

この絵を「若い娘」と見るか「老婆」に見えるのか、人それぞれ。

どちらにせよ、「人という生物はイメージ、先入観、固定観念に囚われやすい」

社会で起こる様々な事件は、このことが影響していることが多分にある。

 

コンピューターは「デジタルの結晶体」なので、印象を作らず、思い込みをしない。

そのことが人とは異なり、有効に活用されている理由でもあるのだろう。

 

そして…今後「デジタル信仰 テクノロジー信仰は肥大していく」

 

「言語の特性」や「シンギュラリティ(技術的特異点)」については、いずれかの時に気が向いたら書こうと思うが、私は”アナログ型人間”を生きるために描くのだと思う。

音楽もバロック期のバッハなどを考えればアナログなのだが、それに歌詞が附くとデジタル要素が加味される。米津氏の「キックバック」という歌詞は面白い。

現代の若者の、でなければ多くの人の本音をメロディに載せてぶちまけている。

本音は本音でも私は言葉でないもので

「伝わること、理解されること」をあてにせず 描いて表現したい

 

kei