kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「普通?」

昨日もなかなか会うことのできない友人・知人がやってきてくれて、ご健勝であることや今の生活のこと、それから雑談とわずかな絵の話をしました。

以前も書きましたが同僚4人でネパールへ破天荒な旅行をした、その中心的役割をしていた人が20年という月日を超えて訪れてくれ、その時の写真を渡してくれました。

過去の写真など殆ど持たないか 捨ててしまう私にとっては特別なプレゼントだった気がします。鄙びた木造家屋の中で 私は髪がまだ黒く10歳程度のネパールの少年と肩を組んで写っていました。その子は私たち4人の大人のポーター役として「ダンプス」という山岳地帯のトレッキング案内をしてくれた子。互いに言葉も通じないのに、共に歩き、森で遊び、山小屋での2段ベッドの上と下で眠りました。

その写真をくれた15歳上の先輩は、いわば「仙人」のような人で、自分の退職の挨拶の時もシャイなため、なかなか登場せず、いつも通りトイレでつかうことが多い350円程度のビニールサンダル履いている。その人がサンダルでなく運動靴姿を見た時は、同じ職場の若者の結婚式1度だけだった記憶があり、あまりにすすけた容姿をしているので、国外の空港の税関でも、日本のどこかでも「不審者」扱いされ、尋問を受けたりするそうな。

ですが人柄としては「いつでもどこでも自然体」ネパールでは田舎の民家に勝手に入り込んでいなくなってしまい、見つけた時には白濁したその家の酒を夫人に振る舞ってもらっていました。仕事の先輩として私の手本であり、難事も自然にこなす手腕と人柄は尊敬していました。私も登山中、ボロボロの民家を訪れ「杖を下さい。」とパントマイムで伝えたら、いかつい顔のご老人が黙って薪として使っているだろう一本の棒を私に突き出すように渡してくれました。その時改めて「人の情」と「杖の重要さ」を知りました。

 

…とこれは前置き。過去の記事を読み「ヤノマミ」を思い出していました

こんな光景がある 「地球は広く 美しい」

 

記事の抜粋では:

こことは全く異なる人間世界 とくに社会が発達した地域でよく使われる言葉に「普通」がある
もし 今なお裸にペニスサックを着け弓と矢 ヤリを用いて生きている民族がいれば
その人たちは「普通」と言う言葉を持っていないかもしれないし 有っても「全然違う普通」だと思う
「アマゾン孤立先住民、違法採金者6人を弓矢で射殺」という記事があった
このアマゾン孤立先住民というのは「ヤノマミ族」だろうと思う なのでこんな人

彼らは祭りの夜酒を飲んで打楽器の音とともに踊り狂い 夜半から朝に向かって男女のカップルを作り沼地へと消えていき性行為を行う 避妊など当然していないので 妊娠することがある 妊娠した女性が10代前半とかあまりに若すぎたり 勢いでヤッちゃったけどあんまり好きでもない相手との間に出来た子だとか 生活上今は育てられないと妊婦が思った時 妊婦は村の女性たちだけで会議をし 「出産後育てるか 天に返すか決める」 天に返す時には 産み落とされた赤子はこのようになり 木の枝にある蟻の巣に置く

そして母親自ら火を点け赤子を灰にし すぐに蟻がやってくる

ヤノマミのしきたりでは 死者に縁のものは死者とともに燃やさねばならない そして 死者にまつわる全てを燃やした後 死者を忘れる 名前も 顔も その子の記憶や存在全てを忘れる 彼らは死者の名前をけっして口にしない
ヤノマミ(「人間」を意味する言葉)は死んだ後 男はアリやハエに 女はダニやノミに生まれ変わると言い伝えられてる

これが「ヤノマミ」の慣習という意味で「普通」であるのかもしれない

 

普通…ってなんだろう? と思います

 

仙人のような先輩もいれば 彼が可愛がった後輩で 私とも縁があった女性は職を辞め 今ではインスタグラムで「不動産 株 教育コンサルティング」までこなす敏腕経営者となりベンツでも乗りこなしている事でしょう これを社会では「成功者」と呼ぶのでしょうか… 

 

皆成功者になりたいのが普通でしょうか…

 

私はそうは思いません。 「普通」という言葉は漠然としていて よく会話に用いられるくせに危険で奇妙な言葉だと思っています 

 

求めるなら「普遍」を感じとられるまで。

 

kei