kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「個展はやっぱ疲れる」

大きくはないけれど 計71点となった作品の搬入と陳列作業は 4時間しか与えられていない… 展示会場ビルの一階に一人の白髪の男性がいて 私に声をかけてきた その声を聞いて 10年前に退職した先輩だとわかった 今も人物画等を描いている現役の絵描きの先輩は ほとんど語らず搬入と陳列を積極的に手伝ってくれた

同居人の方は全く不慣れで勝手がわからないので その先輩がいなければ4時間で作業を終えることは無理だった 絵の選択 配置 間隔 高さ これらを現場で考えながらおこなうのは相当な手間だったが 一人の人の助けによって何とか出来た

 

会期中は妙な睡眠不足に陥った

理由を考えると 見に来てくれる友人・知人との「かかわりを持った時期」の違いから来ているのじゃないかという気がする 沖縄に来て30年なので30年前に関わった人や20数年前に関わった人 数年前 そして現在関りのある人が同時に来たりするので「頭がタイムスリップ」するように その頃に思考を巻き戻して会話をするのが結構疲れるものだとわかり 睡眠時間も4~5時間で目が覚める日が殆どだった 別に興奮していたわけじゃない 脳の時間跳躍の反動だったのじゃないかと思う

 

そして今日 ギャラリースタッフの人々の手を借りながらやっと片づけを終えた

隣のA・B会場はとある高校の織芸卒業作品展で 華々しく参観者も多く 片づける生徒もたくさんいたのでアッという間に終わったが こちらは夫婦2人だけ

ともかくなんでもいいから梱包し 箱に入れるだけでも手間がかかり 帰途に着いた時には2人共ヘトヘトだった

ただ 私だけの絵を観るために2百数十名の人が見てくれたと思うと有難いと思う

外国の参観者にはHow much?と問われたが 「ここでは売れない」という英語さえ 流暢に話せなかった またある時は「絵画教室の先生の候補の一人に入れてよいか?」という質問もあった 聞けば4名程度のご婦人達で水彩画をやりたいという その代表と思しき女性が他の人々と相談するのだろう 来年の予定をマトモに考えていない私は「候補の一人」というのであれば適当に「はぁ。できる曜日で 場所を提供してくれるなら」と大雑把な返事をした しかしなぁ…相手が4人では小遣いも稼げない でも元の仕事をするより新鮮かもしれない…

 

私は個展を機に 今までの仕事の終わりを周囲に告げたかった それを言葉でしたくなかったのだと思う なので3月末にあるだろう職場での退任のあいさつも若い職員に歌を歌ってもらい ギターだけ弾いて終えようと思っている

なぜ「言葉をつかいたくないのか」 

今こうして使っているからなのか

それとも「言葉」というモノが 様々な厄介事や混乱と悩みの元になったという

苦い経験として記憶されているからか よくわからない…

 

おそらくは「生きている実感」と関係しているのだと思う

 

言葉をいくら用いたところで いくらタイピングしたところでそれが湧かない

そういう不器用な人間だからで

「行動と結果」でしか生を享受できない動物的人間だからなんだと思う

 

kei

本物が紛失した為 作ったこのカードは最終日の午前で全て渡し終え 無くなった

「絵」は一旦休憩 使わず動かなくなったギターの指のリハビリに専念しよ。