kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

ファン・ゴッホ 「私が間違っていました。」

廊下でボンヤリ見ていたゴッホ作「種まく人」

レプリカで それも随分と年月が経っているため色がススケてる

私自身が3分ほど立ったまま この絵を見てしまった…

上手い絵か? そうとはあまり感じない

1888年 死の2年前に描かれたこの作品は1850年に発表された

バルビゾン派(外光派)の中で有名な ジャン・フランソワ・ミレーの模倣である

ミレー作の方が 絵画らしいといえばそうだろうと思う

「晩鐘」「落穂拾い」など農民の何気ない生活の風景を 気高い光景に変えた人物

ゴッホはこのミレーの感性に引き付けられて 彼なりの「種まく人」を描いた

 

でもなぁ…太陽はデカすぎだし 畑はまるで海のように青いし 中央下の部分は当初草が生えていたのを慌てて修正したのが丸わかりだし…きれいな絵という感じじゃない

太陽が大きすぎるのは日本の浮世絵の影響があった気がするし

畑が海原のように青いのは黄色の補色(反対の色)としての効果を考えたんだろうが

よく考えて描いたか? と問われれば 違う気がする

率直に言わせてもらえば「アホ」もしくは「馬鹿正直な絵」なんだと思う

 

ゴッホの馬鹿正直さは いろんな面で顕れている

修道士見習の時だったか 自分の持っているモノを全て貧しい誰かにあげてしまったり

結婚相手が すでに別の男の子を孕んだ妊婦だったり

そのあまりの「無私」な行動が周囲から気持ち悪がられて 修道士になれなかった

そして自画像がコレだし…

ゴーギャンと喧嘩別れした後 耳を切り落とした自分を馬鹿正直に描いた

 

もうひとり自画像を沢山描いたので有名な人はレンブラント・ファン・レイン

バロック期を代表するこの画家も若い頃からよく自画像を描いた

老境に達した自画像は

ゴッホより200年以上さかのぼる この「光と闇の画家」は 茶系をベースとした 堅牢で精密な自画像を描く

評論家小林秀雄は2人の画家を比較し「ゴッホ評論」の文末にこんな言葉を残した

レンブラントの自画像には自らを隠す闇があった。しかしゴッホの絵には逃げる場所がなかった。」…これがゴッホ自死の原因だとも考えていたのだろうと思う

ゴッホ印象派北斎等日本の絵の影響を受けてからは「闇」を描かなくなる

つまりは”何もかも 感情と感動の丸出し”

棟方志功等日本の作家達が なぜゴッホに強く惹かれるのか

私が「ゴッホの手紙」を読んだ後 どうして「自分の絵は絵じゃない」と感じてしまい 20年以上描けなくなったのか

それはゴッホという”芸術の結晶体”のような化物がいたから。

彼の絵は純粋そのものであり 「たくさんの人に見てほしい」「売れてほしい」などという下心は一切ない たた感動をそのまま描きたいだけで 前に塗った絵の具が乾いていない内に 上から豚毛の筆でまた色を乗せるから濁ってしまう けれどそんなことすらお構いなし 「絵の出来よりも 集中し 情熱を注ぎ込むことしか考えていない」

 

この男に「絵が売れる売れないは関係ない」

見る人に「どう見えるか」も関係なく ただただ直球ド真ん中だけ投げる

 

であれば「見る相手のことなど想像しているようでは叶いっこない」

 

私が間違っていました   ファン・ゴッホ 

 

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