kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「Forcus」

同じ題名の記事を以前書いた「集中」を意味する英語のことだが これが良く働く場合もあるし 悪く働く場合もある ただ「ヒトの特性」なのだと思う

 

ヤンバルクイナ保護のため沖縄北部から野良猫を駆逐する」という記事が沖縄タイムス一面に載っていた まだ整理がついていないのでこのことについてはいつか書こうと思う ともかく記事というモノはある事象や物事について「集中」することである この特性に危険性を感じるのは私だけだろうか…

 

ロシアのウクライナ侵攻について戦況を語る記事は多く見られたが その時兵士たちの新型コロナウィルス感染数について載っていた記事は見なかった 極寒の中で 銃弾飛び交う中で むしろ感染者は多かったかもしれぬのに

その他のニュースも同様のことが言える 「老後いくら資産があれば安泰なのか」とか 「ある有名人が」とか 「LGBTの婚姻について法律と照らし合わせると」とか…フォーカスされた事柄があたかも社会の現状のように見えてしまう

 

だけれど 本当は「それ以外こそ肝要なのだ」

 

光の当たらぬ暗部

未だ言葉として生み出されていない概念

言葉にならぬ感情

 

室生寺十一面観音 でもいい

妙法院千手観音 でもいい…

これらは暗に「集中し 思い込みやすく ある方向に手を伸ばすヒトの癖」を逆説的に顕しているのじゃないかと思う