kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「泥」

描くとき「下塗りをする」

通常 こんなものは見せるモノじゃないが 完成していないので

2枚程度貼り付けてみる

…と 「泥」のような状態である

私の絵は 始めからいい状態 綺麗な状態で始まることは少ない

いつも「泥の中から生み出そうとする」 その方法以外 今は選ばない

 

ここ数日は計量前のボクサーに似た気分で

精神的に「飢餓状態なのか、少しおかしい状態なのか」

ともかく「美」よりも 「熱」にうかされている状態だと思われ

こんな状態は この時しかないから 逆にそれを味わおうとする

 

出来上がりは 私自身にもわからない

泥のままか。それとも周敦頤の漢詩『愛蓮説』のようになれるのか

 

予独愛蓮之出淤泥而不染、濯清漣而不妖、中通外直、不蔓不枝、香遠益清、亭亭浮植、可遠観而不可褻翫焉。

『予は独り蓮の汚泥より出でて染まらず、清漣に濯(あら)はれて妖ならず、中は通じ外は直く、蔓(つる)あらず枝あらず、香遠くして益(ますます)清く、亭亭として浄(きよ)く植(た)ち、遠観すべくして褻翫(せつがん)すべからざるを愛す。』

遠観すべくして褻翫(せつがん)すべからざるを愛す とは

「遠くから眺めることはできても 手に取ってもてあそぶことはできないのを愛す」

まさに「絵」という2次元 即ち「非存在」であることを言い当てているかのようだ

 

慌てて「蓮」を生み出そうとしてもうまくいかない

どれが 泥のままで終わるのか これもわからない

だから 絵は面白いのである

 

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