kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「目的と手段の履き違え」 ここ当分の記事まとめ

日本における少子化問題 世界 とりわけアフリカ地域における人口増加問題 非正規雇用等の貧富の格差の問題 岸田内閣がやろうとしているプラン 発達障害等「障害者数の異常な増加」の問題 日本の子どもの精神的満足度38か国中ワースト2位で 若年層の自殺が多い事…といろいろ考えてはみたものの

 

私の結論として浮かび上がってきたのは「手段と目的の履き違え」というものだった

 

手段と目的…これは下手をすると「ただの言葉遊びに陥る危険性」がある 何故なら「段階的に手段と目的について考えた場合」小目標は中目標への手段であり 中目標は大目標の手段となるわけで それは「日本国憲法」を基に法が生まれている構造と似ている

貧富格差は問題である。ギリギリの生活を余儀なくされている人も問題。戦争も問題。人が過度に人を警戒し その延長で「障害者」を増やし続け 経済格差のように「人々を分断」することも問題である。

だが これらには「大きな目標」となるものと そのための「手段」が混在しており 一体何から手を付けていいのかわからなくなる

…確かに問題だらけでプライオリティをつけるのは難しい

そこで私は大目標として「子どもや若者の屈託のない笑顔」を挙げたかったのだと思う

笑顔で腹が膨れるか?と非難を受けるだろう だから貧困の問題を「手段」として解決しなければならない

そうして考えると岸田内閣が言っていることは「カネ・金・かね」に偏重した政策であり 主張の中に理想が欠落しているか 尻切れトンボになっているか どちらかであることが解る

 

「経済的豊かさだけでは 未来を担う人々の笑顔は生み出せない」

 

政治家は「大目標」は何なのか主張しなければ立候補すべきでない

それはおそらく 抽象的で 個人的かも知れぬ だがそうだからこそ 個人に響く 「自民党」という保守政党はそれを長年取り組まなかった 人間をよく見ていなかった

 

ブータンは微笑みの国」と言われている 最貧国なのになぜ?

 

なぜ現代の児童生徒や若者は笑顔を失った? 

 

政治も経済も教育も 未来を担う子等の笑顔にかかっているとは思わないか?

 

それとも ナルニア国物語の第6巻『魔術師のおい』のように「廃墟の中に豪華な衣装をまとった大人だけが石像のように佇む 夕暮れで時間が停止した落日寸前の世界」にでも変えたいのか?

 

多くのアニメでは「この世界」に嫌気がさし 別世界にやたらと転生するのは ルイスが描いた「新しい風が吹く『ナルニア』」を 若い人々が願っているからではないのか。

kei

 

日本の子どもは幸福度調査「世界ワースト2位」と「笑顔」

前回の続きとして書こうと思う

東京都立大学 教授「阿部 彩」氏の記事を読んだ

「ワースト2位」という順位について 記事の内容を反映し いくつかの注釈をつけなければならないだろう

①「幸福度」の指標は2点。「生活満足度が高い15歳の割合」と「15〜19歳の自殺率」によってはじき出され「生活満足度」に関してはワースト2位ではなく 総合的には「先進38か国20位」であること

②これは 先進国の子どもの状況を比較・分析しようと2000年から行われているユニセフ報告書「レポートカード」20年に発表されたものであること

③「生活満足度」は低い数値ではないが「精神的満足度」がワースト2位であること

 

これらを勘案すると「経済的豊かさが精神的満足度には単純に結びつかない」ことがわかり 経済的に豊かでなくても 幸福だと感じる子どもは多くいることがわかる

これから 安部氏の分析とその打開策について記事は続く これも箇条書きにさせていただくと

①学力重視・学力偏重傾向

②「格差と負の連鎖」を生む貧困問題

けれど 私はもっとシンプルで大切なことがあると思った 安部氏には記事を盗みながら 誠に失礼だが…

 

それは「顔」 というのが私の答え 端的には「笑顔」である

 

「笑顔の不足」は高校生と関りながら一番強く感じたものだった それが「学力」によるものか 「交友関係」によるものか 「経済的な困難」によるものか 計りかねるが ともかく「笑顔」があまり見られない

私が高校生の頃はどうだったろう… もう少し「喜怒哀楽」が顔に出ていた気がする 私の家は貧しい方だっただろうし 学力もバンドばかりやっていたせいで成績はあまり気にしなかった 家族は「笑顔の多い家族」とは言えなかったが 中学以降はどんな生活をしても 友人宅に勝手に泊ろうが 勉強をロクにしまいが 放任または「自由」だった 中学の時は上級生にトイレに呼び出される等いじめにも遇ったが 当時の私には一時のもので それも「自由勝手」の中で起きることだった

あ…自分のことを書いてしまったが… ともかく「顔」だったと思う

それは自分以外の人々の顔。友人であったり 異性であったり 親だったり 親類だったり… 今この歳で真面目に考えるなら 取り分けて重要なのは「親の顔」と「ほぼ毎日会う友人の顔」なのではないかと思う

「笑顔」を幸福度の指標にするとは「短絡的」と思われるだろうか?

確かに 学力偏重や経済的貧困は笑顔を失わせる原因になりやすいので重要な事柄だと思うが それが直結しているというわけではない 

「笑顔は笑顔として独立している」と考えることもできる

それは笑顔に救われ 助けられた者が一番知るところかもしれない

 

お笑いや爆笑動画は「一時の笑顔」しか与えることができない

日本の10代の若者は「笑顔欠乏症になり それが波及・蔓延し 精神的幸福を失った」

私はこのように感じている

kei

「子どもが納得できないシステムは『正義』じゃない」

前回「世界を自分が作るなら」まで一足飛びしてしまったw

けれど 誰しも皆「世界を見 世界を想像し 世界を構成し 世界を創っている」 ただそれが「同一ではない」ではないという話で 同一でないことに 良し悪しなど簡単に言えるわけじゃない

アメリカだったか どこかの大学の先生が「人それぞれの正義があって然るべき」という意見に対し 猛反発した。その理由は簡単で「この意見を是とした場合 議論も起こらず 意見がまとまらなくなってしまう」からで「相違を出し合うだけで 何の変化もない」という点で 議論自体の否定になるからだと言っている。

私もこの意見に賛成する 「正義」とは言葉は一つでも 100人いれば100の正義の考えがあるのだろう でもそれをこすり合わせ摩擦熱をを起こしてでも 提案し合い 考え 何かを導き出さなければ「言葉そのものの否定」になる 人が生み出してしまった「言葉」であってみれば 人はその責任を取る必要がある

前回の記事は 「53歳の1人の男性の生活苦の状態 後半はそれに対する政府の救済政策の問題点」等が挙げられていた

例えば 当初 首相岸田は「所得倍増計画」と言い 最低賃金を引き上げようとした それが「資産所得倍増プラン」という言葉に変化した これは内容が全く違う 端的に言えば「2000兆円ある国民のタンス貯金を投資させ 経済を活性化させる」ことに主眼が置かれており 貧困状態にある人への救済にはつながっていない。と考えた方が妥当であり 「マクロ的」と言えば聞こえはいいが「ざるプラン」と言えばいいか 相も変わらず「大企業を支えることで傘下の中小企業にお零れが落ちる」という「Top to Down」式経済を支持し続けていると言えばいいのか…腑に落ちない

 

ただシンプルに「子どもが首を傾げるプランは その子が大人になった時の様相を想像すれば 『是』とすべきでない」と私は思っている

 

正社員だと年収500万 非正規雇用だと年収200万 労働内容が同一であるなら基本的には賃金も保証も近しい方がいい。これがおそらくは子どもが納得する考えだと思う 「契約」を論拠とする方法論では「契約そのものを是正できない」

 

大人はいつも子どもを「煙に巻き」「言いくるめる」

バブル崩壊 リーマンショックによる「就職氷河期」は小泉内閣から端を発し今も続いている 雇用者側にとって「安い賃金で いつでも首を切れる」非正規労働者は便利この上ない。

だがそれは 大人の言い訳であり 子どもは納得しない

「本質」は子どもが納得できるほどシンプルなものであるはずだ

なので岸田内閣が示すプランは 「正義ではない」

 

私は世界の物語を生み出そうとしたとして…

例えば 難破船が絶海の孤島にたどり着く 身重の女性が1人生きていて 2人の男女を出産する… こんなところから始めるかもしれない

それが世界の破滅後か 世界の始まりかはわからないが 物語は波乱と驚きがなければ成り立つわけがない その時私にとって「正義とは何か」も課題として問われることになる


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「1つの記事」から「世界の創造」

スマホニュースには このような記事がよく掲載され 読むと「痛切」を感じる

ニュースの記事の中で目が行きやすいのは「老後の資金」問題であったり「NISA等の積み立て」だったり…卑近だから目が行くのか それに類した記事が過剰に多いかは図りかねるところだが ハッキリ言えるのは「政府のプロパガンダの一環」であり 後押しされ「敢えて」掲載されている ということもあるかと思う 未来統計によるのか はたまた 現状を多角的に捉えた結果か…政府は「65歳どころか70歳まで働いてもらわないと困ってしまう」と判断しているだろう

 

ただし 以下に転載する記事は これを書いたライターと取材対象となった1人の男にとっては「現実」であろうと思う

【小林 美希】昼食はパン2つ、貯金80万円…「安楽死」したい53歳男性の「絶望的現実」

昼ごはんは、パン2つ。出費を180円に抑えています。もし、仕事が決まらず露頭に迷えば、生きて苦しむより死を選んだほうがいい」――非正規雇用で低収入の状況が続く木村武さん(仮名、53歳)は、約4年前の取材で安楽死を望んでいた。

その後に襲ったコロナ・ショックや物価高。今や平均年収を得ていたとしても、「ちょっとスタバでお茶しよう、ランチしよう」という、それぞれが思う“普通”の生活ができにくくなっている。非正規雇用で収入の不安があれば、一層と生活は苦しくなる(『年収443万円 安すぎる国の絶望的な生活』)。

給料日だけ「600~700円の弁当」
九州地方に住む木村さんは1993年に地方の国立大を卒業。新卒採用ではスーパーを運営する会社に正社員採用された。

店長になって売り上げを伸ばしたが、30代前半の月給は手取り20万円程度。不景気の煽りを受けた会社全体の業績が下がり、ボーナスがカットされた。

長時間労働は常態化し、木村さんは休みなく働いて体調まで崩した。これ以上は収入が増える見込みがないと悟り、転職を決めた。

派遣社員として働きながら転職活動を続け、ある会社に正社員採用されたが会社は2年で倒産。40代後半になっていた木村さんは、就職活動の厳しさを肌で感じるようになった。正社員の求人があったとしても介護、建設、運送業が多い。事務系の仕事は非正規しかなく、非正規の職を転々とせざるを得なかった。

それでも2年前に働いていた職場は契約社員でも月給30万円が出て、交通費が月6000円支給された。ボーナスは月給の4ヵ月分以上の支給で、木村さんには十分な条件だと思え、意気揚々と、同僚の嫌がる仕事は自ら代わって何でもこなした。

ただ、正社員ではないため、「給与が上がっても、地味な生活をしとかんと」と、昼食はパン2つだけの生活。給料日だけは600~700円の弁当を買って食べることが、唯一といっていい贅沢だった。できるだけ節約して月10万円を貯金に回した。

これからの生活に期待したが、次年度の採用枠がなくなり契約は更新されなかった。

就職氷河期世代向けの求人があっても、地元でブラック企業として有名なところばかり。なんとかして自治体の外郭団体の「会計年度任用職員」という非正規の働き方で職を得たが、給与は月12~13万円と交通費が支給されるだけ。

「月給が30万円あった時の仕事に対するモチベーションは高かったです。きちんとした収入を得られるという『安心』は、大事な要素でした。朝、昼、晩と1日3回の食事をとることができてこそ、明日も仕事を頑張ろうと思えるのではないかと、改めて感じました」

収入が限られ雇用も不安定では、出来る限りの節約をしながら生活していくしかない。

安いガソリンスタンドを見つけてガソリンを入れ、月に5000~6000円の節約につなげている。買い物はできるだけ自転車を使う。

物価高の影響は大きく、卵も牛乳もティッシュもトイレットペーパーの値段も高くなり、10円でも違えば安い店を行き来して買う。

ポイントカードを駆使してお得な買い物をしようと「ポイ活」(ポイント活動)にも励む。何種類もあるポイントカードは「楽天」に紐づけた。なるべくポイントが何倍かつく期間に買い物をする。ガソリンスタンドでもポイントが溜まるため、侮れない。

そうして溜まったポイントで、普段は4000~5000円する散髪代でもポイント割引を使って2000円に抑える。ちょっとした贅沢は、5食1000円のラーメンをポイント割引で400~500円で買って食べること。

「ミドルケアラーは見捨てられている」
スーパーの正社員だった2000年頃、友人の勧めで株式投資をしていた。株価は上昇して配当金が年20万円ほどになり、重要な生活費の一部となる。

それでも貯金を取り崩している状態だ。貯金は70~80万円しかなく、いつ底をつくか分からない。冬はストーブをつけず、寒い夜は布団にくるまって本を読んだ。

写真を撮ることが趣味で、年に一度程度、大学時代に過ごした四国を訪ねる。旅費を工面するため、背に腹は代えられないと抵抗感があったマイナンバーカードの登録を行い、ポイントを得た。

いつか四国に住めることならと思うが、同居する父親は80代半ば、母親は70代後半だ。身体が弱くなった両親を置いて出ることはできない。日常的に家事など木村さんが担う場面は少なくない。今は両親が健康でもいつ介護が必要になるかも分からない。実家から通える範囲で仕事を探さなければならないことも、非正規雇用が続く一因になっている。

「ヤングケアラーは問題視されていますが、僕らのようなミドルケアラーは見捨てられていると感じます。このままでは年金はもらえたとしてもわずか。自分の老後は生活保護を受けることになるのではないでしょうか」

複数のキャリアカウンセラーが「非正規雇用が長く続いた場合、45歳以上の正社員採用は厳しい」と口を揃えるなか、職探しは年を重ねるごとに厳しくなる。

岸田政権では、「リカレント教育」「リスキリング」という言葉で社会人の学び直しを重視するが、それは正社員として働くベースがあってこそできるもの。

そもそも正社員と非正社員とでは、仕事を通じて技能を身につける機会や、業務時間外に研修を受ける機会ですら差が生じている。厚生労働省の「能力開発基本調査」(2021年度)によれば、計画的なOJT(仕事を通じて技能を身につける)を実施した事業者の割合は、正社員については59.1%だが、正社員以外については25.1%と少ない。木村さんには、国がいうような「資格を取ってキャリアアップ」は絵空事にしか思えない。

「正社員でなくても、せめて手取り20万円ないと厳しい。岸田首相が『所得倍増』と言った時は期待しました。非正規が多いなかでは最低賃金で時給1500円の実現も必要だと痛感しています。ところが首相はすぐに『資産倍増』と言い換えて絶望しました。そもそも資産を形成するだけの所得がないのですから」

失業したら絶望しかない…
労働者に占める非正規雇用の率はバブル崩壊前の1990年は約2割だったが、現在は約4割と倍増している。2022年の非正規雇用労働者は約2100万人。そのうち木村さんが該当する年齢層の45~54歳は20.8%を占める。就職氷河期世代が含まれる35~44歳でも15.3%が非正規雇用だ。

1991年のバブル崩壊、1997年の金融不安、2001年のITバブル崩壊、2008年のリーマンショックなど、不況が訪れると経済界は決まって雇用の規制緩和を主張し、国は労働者を見ずに経済界を見て非正規雇用が生まれる構造を作ってきた。

かつて家計の補助の意味合いが大きかったパート労働などではなく、正社員に置き換わる形での非正規雇用が増えていったことが、就職氷河期世代の苦難となったのだ。

当然、賃金は減っている。国税庁が毎年発表する「民間給与実態統計調査」では、2021年の給与所得者の平均年収が443万円で、平均年齢は46.9歳。正社員と正社員以外で平均年収を見ると、正社員は508万円、非正規は198万円と差が大きい。

平均年収443万円というのは、あくまで平均値で中央値は低い。

年収の分布を見ると、最も多いのが「300万円超400万円以下」で、全体の17.4%を占めている。次いで多いのが「400万円超500万円以下」の15.0%、3番目が「200万円超300万円以下」の14.8%で、3人に1人が200万~400万円の間の年収となる。

ここ何年と、その傾向は変わっていない状況について、木村さんは政治に対する不信感が募る。

「雇用について、国はずっと逆のことをしているのではないでしょうか。2001年発足の小泉純一郎政権の『構造改革』に始まり、今も『身を切る改革』『規制緩和』『雇用の流動化』というフレーズに人気が集まりがちですが、それで一体、誰が救われているのでしょうか?むしろ、苦しむ国民が増えているのではないでしょうか?

雇用の流動化といっても、失業した時に希望が持てる仕組みは、ないに等しいと感じています。安定した雇用と収入が基本としてあり、明日に希望を持てたほうが、個人の生産性は上がるはず。そういう社会を目指すべきです」

「もう結婚はできんでしょう」
木村さんは現在、53歳。「この年になって何も遺していないし、もう結婚はできんでしょう」と諦め顔だ。

今や日本の平均年収は443万円で他国から遅れをとるばかりでなく、中間層が沈みゆく状態にある。そもそも岸田首相が『異次元の少子化対策』というのであれば、雇用の質を上げ、安定化させることが必要不可欠。それができないのは、長く続けた雇用の規制緩和を否定しなければならないからではないか。

「今でも安楽死したいという気持ちが半分以上を占めています。ただ、もし叶うのであれば、今の私の希望は、四国に移住することです。それが無理なら、やっぱり……スイスに移って安楽死するしかないですね。死ぬ時は、自分でその時を選びたい」

それでも、同居する両親の存在に支えられて日々の生活を送りながら、政治に関心を寄せている。

「まだ望みはあると思うのです。田舎だからかもしれませんが、高齢の母がスーパーで買い物をしていると、店の人が重いカゴを運んでくれます。道端で誰かが困っていると、周囲の人が自然と駆け寄って助けてくれる。政治が変われば、まだ社会が変わっていくチャンスはあると思うのです」

4月は統一地方選が行われ、民意が問われている。全国の自治体議員は、都道府県議会で約2600人、市・区議会で約1万8700人、町村議会で約1万800人もいる(総務省、2021年12月31日現在)。さらに国会議員は衆議院議員で465人(2023年2月13日現在)、参議院議員で242人(2022年7月25日現在)いる。

議員と名のつく人が全国に合計で約3万2800人もいるはずだが、何人の議員が真に人々の生活を守るための政治をしているのだろうか。

木村さんは、「今や日本は“衰退途上国”と言われていますよね。この国が滅んでいるのは、困っている人を助けるのではなく、自己責任論を植え付けた政治の結果なのだと思います」と語気を強める。

政治は生活に直結し、社会全体の風土をも作ってしまう。その政治を変えるには、諦めずに一人ひとりが票を投じることから始めるしかない。

 

日本が「衰退途上国」であるかは別として 実際的な生活 給与 ミドル層の求職問題 非正規雇用の問題 政治の問題 広い範囲で記載されている点で リアリティと痛切さを感じてしまう 私も当然他人事ではない 

ただ歴史的に考えれば「戦後日本はアメリカによって基盤を作られた『資本主義経済国家』であり その様相はアメリカ同様に 当然として『貧富の格差』を助長するような仕組みになっている」と思う

私が小学生の頃「日本皆中流時代」という言葉が広がっていたが そんなわけはあるはずがない 格差は現在ほど無くても 貧しい状態で生きる人々はマイノリティとして 主張できなかったに過ぎない

人生100年時代」も同様である どうせなら「人生70歳まで働いてもらわないと潰れる時代」と正直に言ってはどうか?とさえ思う

 

私自身について今後どうするかは「未定」 アルバイト程度は健康上も収入面としても必要だろうと思っている

ただし それは「本末転倒」だと明確に思っている

人は生きるために何かをするのじゃない 生きているから何かをする

では なにをしようかと考える 私は「絵」は「絵とは言えない」とも思っており どうせするなら C.Sルイスのように トールキンのように ル・グインのように「世界を一番最初から編み出してみたい」のかも知れない

何という「無意味」 何という「暇つぶし」

けれど「この1つの記事」を読むと 自分に向かって「じゃあオマエが世界を作ってみろ」と言われているような気がするのだ

kei

「破壊と創造」を併せて何と呼べばいいのか?

ヒンドゥー教では「宇宙と生物の創造神ブラフマー」と「世界維持・秩序の神ヴィシュヌ(恋愛中はクリシュナ)」「破壊と死の神シヴァ」がおり 今もなおインドを主要国として信仰されている この三神は一体であると言われている

一体であるのは当然とも言え「雲の発生と消滅」を眺めていてもわかる

今日は父親の命日であり 私の誕生日でもあるので こんなところから考え始めたのかも知れない 命日と誕生日が一致していることに何か特別なことを感じてはいない ただ「消滅と発生はいつも同時に起きている」と自分に念を押す役目は果たしているかもしれない

 

「いつも同時に破壊と創造が起こっている」 当たり前の話だが

 

宇宙規模 戦争と競争 生まれて3歳までの寿命しかない幼児の実例に至るまで この言葉で貫かれている

「運命論」という言葉があるが それは「時間の経過」を勘定に入れているという点で とても「人間側に偏った考え」だと思っている

演繹法では 「人はいずれ死ぬ」「私は人間である」「よって私はいずれ死ぬ」となるわけだが いかにも人間的 「三段論法」自体がすでに人間臭いのか すぐ自分に当てはめるのが人間臭いのか…

ただ 「事象そのものは『時間が無い』のかもしれない」と今は思う

誰かが今息を引き取ったとして 同時に赤子が産声を上げる

恒星が一つ爆発したと同時に 破片を重力で集約し生まれる恒星がある

…これも当たり前なのだが

人はどうしても「時間を組み込み 測るクセ」が抜けきれない

だから「創造されたこと」に意識を向けたかと思えば 「破壊されたこと」に大騒ぎする

地球という惑星でも同時に起きているこの事象だが 2050年には人口は100億人に達するという 過去にはペスト コレラ 結核等 病と飢餓と戦争によって 日本も江戸末期は1700万人の人口であったとか…その人口を「日本にとっての適正人口かも知れない」とある学者は言っている というより「人間は 人口は減りすぎているか 増えすぎているとしか感じることができない」という思考癖があることをその学者は指摘している

地球の表面温度まで変えてしまう人類だが その時必ず「何かは滅し 何かは生じているが それは同一のものではない」という話かもしれない

 

芸術は一つの言葉では言い表せない「破壊と創造」を矛盾なく表現することができる

F.ステラ 作品

kei

アインシュタインの言葉

 

 

 

「常識とは18歳までに身につけた偏見である」

 

                  ……考え中

 

                  多分 名言

kei

水原一平「出口のない螺旋」

マスコミの報道は「事実」「証拠」を大事にするが「推理」の領域には足を踏み込めない 踏み込めないために 報道しているのはいつも「後の祭」なのではないかとおもうことがある

推理とはそれ以上ではないので無責任極まりないものだが…私の頭の中では水原一平の起こした事件について 報道とは全く違う推理が頭をもたげてくる

なのでこれはあくまで「仮定」で…根拠が無いという点で外れていると思うのだが「サスペンス」として 書いてみようと思う

①大谷選手が渡米し銀行口座を作る2018年時点で 水原は大谷の金を狙っていた その時誰かと繋がりを持っていて「後ろ盾」がいたのではないか…銀行口座が仕組まれていたことでそれがわかる

②その後ろ盾の作戦は「スポーツ賭博」を装い わざと数十億単位の負けをさせることであり 仮に勝ったとしても 水原の懐に入った金を「盗んだ金」と脅し ピンハネするつもりだったのではないか…

③…とするとすべてシナリオ通りに事が進んだことになり「司法取引」さえも計算ずくで 禁錮10年以内で釈放されるよう ある程度の証拠を提供することになり それで落着

 

このように考えると「ある組織」は当初はフレンドリーな顔で 2018年以前に近づいてきた そこで少額のギャンブルを提供するなどして 当初は勝たせていただろう けれども2018年アメリカに赴く時点で「相当な負け」状態であり 縁を切ることが出来なくなってしまった なので 水原だけでなく組織も「大谷の金」という本丸に手を付ける気でいた

報道では「掛け金の増額を水原が要求していた記録」が残されているが 組んだ相手が「巨大な暴力組織」だということを2020年を過ぎて水原は知ったのではないかと思う 通信記録では当然残らない ただ 「直にやんわりと脅した」のではないかと思う

彼が手を染めた賭けは「勝って終わることができない賭け」であり 水原当人もそれは半ばわかっていたのじゃないかと思う しかし 逃げることもできない 返済することもできないとなれば「数十億程度 大きく負けた時点で捕まるしかない」 殺されるよりはマシというもの

 

はじめは「博打好き」という小さな綻びだった

そこに「友好的で暴力的な組織」が目をつけ 大谷翔平の数十億単位の金をせしめるに至った。

 

組織は巨大であり 今後FBIでも全貌を暴けるかどうかさえわからない 証拠をつかみ捕らえたとしても それは「尻尾程度」ではないかと思う

 

私は「水原一平が 逃れようともがきながら 出口のない螺旋階段を走り続けていたのかも知れない」とも 思ったりするのだ

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