kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「ミロのヴィーナスの顔」

2021年12月27日記事

 

体長はたしか2mちょっとだったと思う「ミロス島」発見され「ミロのヴァーナス」と名付けられた 白大理石造りのこの像は両腕が無かったこともあり①肢体の曲線美が強調されたこと②失った腕がどうであったか想像を掻き立てられること③以降の人体の美の基準となった8頭身であることなど も含めギリシャ彫刻の代表作の一つとされる
この像が好きかどうかは別として ともかく大学1年の「彫塑」の単位は「ヴィーナスの顔の塑」で いきなりこの像の顔半分の石膏像を渡され それとほぼ同体積の粘土の練り方を学び 石膏像そっくりに粘土で作り上げなければならず 最後は作った塑像を型に石膏を流し込み 同様にヴィーナスの顔の石膏像を作って完成となる

ご本人も彫塑の作家であった老教授は 寡黙で温和な人だった 結構なご高齢だが粘土を練る様は素早く正確で 相当な腕と手の力を感じさせた 若く不器用でヘタレの1年生の私たちは全くマネできなかった 制作中も殆ど話さない教授は もちろん技術的な助言など一切なかった 皆が制作中盤に差し掛かったころ 教授は一言しみじみと呟いた「小物だねぇ。君たちは。昔は1人2人相当凄いのがいたんだけどね。」教授が話したことと言えばこれくらいかもしれないし 情けなさそうな笑顔でしみじみ言われた「小物」という言葉が深く胸に刻み込まれた

今考えるとわかることがある ヴィーナスは少し振り向き顔 なので顔も傾いているし 何より顔の右半面と左半面の肉付きのヴォリュームが全く違うのだ
こうして正面から見ると左右対称にさえ見えそうな顔だが 向かって左面は「ふっくらして張った面」であり 向かって右側の暗い反面は「随分と縮んだ面」ということになる
それは 人間の顔のリアルがそうだからで 2000年以上前であるにも関わらず おそらくは「解剖」すらしていないのに 私たちなどよりずっと正確に人体を理解していた証拠である
教授は顔の左右のヴォリュームの違いについて 全く事前に教えてくれなかった
そしてそのヴォリュームの違いを感じ取るには 見本となる石膏像を「見るのではなく 飽きるほど触れるべきだった」と思う 目を使わず手の感触で顔の左右の違いを感じ取れば 少しはマシな模刻ができたはずだと 今なら思う だが それに気づかないから「小物」なので 教授に文句を言うのはお門違いというもの

ルーブル美術館に行けばホンモノを飽きるまで眺めることができる(行ったことがない)

その時 ミロのヴィーナスの「無名の作者」の手腕と芸術性に驚くことだろう

ヴィーナスを「美の象徴」と思い込めばそれまでなのだが

このヴィーナスには 顔 表情 そしてもしかして「心の中」にも陰と陽が存在し

表情からは感じ取れぬほどの かすかな喜びと悲しみを湛えているような気がしてならない

オセロの話をぶり返すわけではないが

人は同時に「陰陽」「白黒」「苦楽」「正邪」を持っているのではないかと感じる

 

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