kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「異なる二つの鏡」

退職するにあたっては「あいさつ」をしなければなりません

私の場合はティーンエージャーに向けて ということになります

これからの話も 養老孟子氏から盗んだような気がしますが

「鏡」について話をし それをあいさつとしました

それは性質の全く異なる 二種類の鏡の話

鏡の前に立てば 「映るのは自分のみ」 これは一つ目の鏡

 

その後 会社 学校 畑 海 ともかくいろいろな場所に赴くとき

「見えなくなるものが一つだけある」と話しました

「それは自分自身」

 

働きながら 学びながら 会議をしながら… 何故か「自分自身だけは見えない」

 

自分以外の人や風景は見えるんですけど…自分自身の顔は見えません

当たり前なんですが そういうことになります

 

では そんな時何を「鏡」として仕立てているかといえば 周囲の人々の反応であったり 空であったり 猫であったり 「絵」であったりするのかもしれません

あいさつの時には「だからいろいろな人と仲良くしてください」と云いましたが

人にとっては 自分以外の全てが鏡である とも言え もう一枚の鏡であるのだと思います

 

ただし この鏡に対し どのように どれほど依存し 信頼するのかはケースバイケースでしょうし 人それぞれ… 

 

ゴッホの絵は風景でさえも「自画像」のようです だから名画なのでしょう

モナリザ」もレオナルドの自画像でもあったはずなのです

 

ともあれ 自分の補集合かもしれない(実はそうとはあんまり思っていませんが)世界もまた「鏡」なのでは…と思っています

 

いくら「自撮り」したところで…  それは本質的に一体どちらの鏡なんでしょうね。

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