kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「身繕いをしないネコ」

ずっと以前「夢に色はついているか?」そちらの方面の専門家の話を読んだことがある 

「色のない夢」というのを察するに それは「白黒」というわけでもないのだろう

ただ見たストーリーに「色」があまり関係がなく 印象として残らなかったから…という感じなのではないか

私は他者の名前を覚えるのが苦手で 近年は当分会わないと相当数 というかドッサリ忘れている ただし容姿や顔といった映像の方は 名前とは逆にしっかり記憶され 見た「絵」も どんな絵だろうが覚えてしまうという極端な「写像記憶タイプ」なんだろうと思う

なので見る夢の映像も そのように記憶される

 

高校生の自分の夢を見た けれど自分の姿はその頃の自分とは別人で 容姿も名前も違っていた でも思ったように手足が動くので「とりあえず自分」だと思うようにした

友人2人と一緒に「伝説の沖縄そば」を食べに行くということになり外出した

ところが友人のガールフレンドなのか 友人は1人の同年代の女子を連れていた

計4人でアーケードのある商店街を通り 長いアーケードの突き当りには レンガで積み上げられた壁があり 塞がれていた それを壊したのか 隙間を通り抜けたのか 何とか壁を抜けると ウクライナのような破壊状態の街に出た 苦労しながら瓦礫を幾度も乗り越えて やっと伝説のそばに屋ついたが 筋肉質の店主は両手に包丁を持ち 知らない動物の切り取られた頭を持ち上げ どの部位の肉を使うか 笑いながら店員に相談していた

ともかくも出来上がった 沖縄そばを食べた 存外に美味かった ただし味の記憶は曖昧である

気になっていたのは 友人が連れてきた女子だった 文句なしの美人だった

ボーイフレンドとも慣れ合う様子もなく ろくに話もしないで淡々と瓦礫を乗り越え附いてきた それもドレープの入った白いミニスカートと素足 青の艶のあるパンプスという下半身で 上半身はと言えば襟がピンと張った白いシャツだったが 2つほどボタンを外しているので胸元が見えそう 煽情的といえばそうだろう… その上からサイズが大きすぎると見られるダブダブのレモンイエローのカーディガンを身に着けていた そのカーディガンというのもけったいな服で 燕尾服の後ろの燕尾が前になっているような感じで 裾が水平でなく 前に45度垂れ下がっていて ボタンも嵌めていなかった それも片方の裾だけスカートの中に入れている それでも垂れてスカートに入っている状態はよくわからないが 動き方によっては細い濃茶のベルトが見えた もっとヒドイのは頭髪で 赤茶に染められた髪はロクにブラシをかけた様子もなくボサボサだった 前髪も整えられていず片目しか確認できないことが多かった この女子は「鏡をロクに見ていない」ようにも見えたが 目元だけはきれいにアイラインが引かれていた 性格も顔もネコのような女子

こんな感じだったと思う

 

帰りの電車の中 乗降口の付近の空間で4人はバラバラに立って 外の流れる景色をボンヤリ見ていたが 彼女が私に何故か近づいてきた 鋭い猫のように頭を下げて私を見上げ片目で見ている

小顔の丸顔に釣り合わない大きな目でこちらを観察しているようだった

私はボサボサ頭 カーディガンを非対称に一見だらしなく着こなす その女子の真意について考え「それ。わざとだろ。」と一言だけ云った 

女子は  鈍感な私でも「ヘェ?わかるんだ。」とクスッと笑った

彼女には身繕いをして綺麗に見せる意味がない そうする必要がない

私はたじろいだ

 

夢はそこで終わった 

 

その後ボンヤリこの夢について考えた

「非対称の着こなし」「ボサボサ頭」「わざとボタンを掛け違う」などは今後流行するかもしれない

それと これから描く絵は「全面美しく仕上げる必要がない」とわかった

ごく一部だけ集中させて魅力的にすればいい… これは私には重要なカギ

 

どうしてこんな夢を見たのだろう

 

おそらくは インスタグラム等で女性が「整った」「可愛らしい」「美しい」「色っぽい」を過剰に強調しようとしている写真に「企みがスケスケ」という意味で興味を失っており それはもう「時代遅れ」と感じているからだろう

 

ロクに身繕いをしないネコの方が私にはヤバい

 

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