kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「怒る」自分

朝5時に目が覚めた時 夢の中で怒っていた

話の内容は 職場でよくあったこと。当初は「かように上司と約束をしていた」のにも関わらず たった一通の保護者の電話によって「全てカチカチのルール原則に戻るので そうしろ」という教頭からのお達しである あまりにこの手がありすぎて 50を超えてからは 腹が立つよりも「嫌気がさした」

当初の互いに定めたことを 第三者のさして意味の無い中傷によってコロコロ変わる。 学校組織の得意技と言えばそうだが 私は大嫌いだった 「言ったもん勝ち」ってのが先ず気に入らないし 「早期解決のため 長いものに直ぐに巻かれる組織体制」にも反吐がでた

ポリシーなどあるわけがなく ポリ袋のように風に飛ばされる教育

……あ。これは今回全く重要ではない ありすぎて飽きている事柄。

ではなにが面白かったかと言えば そのとき「自分が怒っていること」だった

 

わたしのなかに「怒りの感情」が潜んでいたことをに 喜び・安堵した     

わたしはまだ 何かやれる。

「悟り」「賢さ」「先見性」そんなものは二次的三次的優先順位

「怒り」が描く私にとって 愚かしくも必須の感情の一つであることを 経験上知っている

 

怒りはよろしくない。 んなこた知ってる

怒りは何も生まない 争いの元。 それも知っている。

だが 怒りの感情なくして こんな絵は生まれない

彼はこれを「その場で見て」描いたのだ 皆撃ち殺される光景を

 

マドリード「1805年 5月3日」フランシス・ゴヤ

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