kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

雑感 「壁」と「空」

病院受診を待つ間 暇が出来たので海辺に行き 護岸を見ていた

掠れて消えかかっている「魚の落描き」

見ていて 何故か「もう古い」と思った 絵が古いのじゃない 手法そのものが古く時代遅れのように思った バンクシーやストリートアートの面々がやり尽くし 十数年以上前のアプローチに変わってしまった

だったら 目に映る「コンクリート壁そのまんま」の方がいい

安部公房芥川賞「壁」を出版した時 大家「石川淳」が紹介文を書いている よっぽど惚れ込んだのだろう 紹介文の文末には「四方はは高い壁に遮られ 逃げ出すことは不可能である (中略) 壁はあり 壁はない いや。安部君が描くために壁がある」と記している

私は石川淳のこの感性さえ「もう古いのじゃないか」と思い始めている

「壁と人間との関係」はさらに根源的なモノへと変わり 描く行為を必要とせぬほど変容しており 「描く以上の何かが求められている」んじゃないかと 思う  今具体的にそれは何なのかわからないが…護岸の壁を見ていると ただそれだけで美しいと感じてしまう 手を加える必要があるのかどうか…

 

今朝は空に飛行機雲が描かれていた

私はこれらを美しいと感じて獲ったわけじゃない

ただ「こんな日もあるもんだ」と思った

 

これが流星雨ならば これが砲弾ならば どうだろう

これが直径10キロ以上の隕石ならば 衝突した瞬間 人類は絶滅しているかもしれない

 

こういうことも いつかあるのだろうと思いながら見ていた

 

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