kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「いつも美しくないスタート」

久しぶりに絵に手を付けた といっても小さな絵だし 画材も荷造りに入っているので 「いい加減この上なく」 絵とは呼べない代物 というより作者自身 絵だと まだ思っていない

美しい風景を描く人 美しい人物を描く人 自分もそのような対象を見て「絵になる作品」を描きたい…とも思うのだが それは「散々 どうしょうもない出来の 自分でも何だかわかんないモノ 作品以前のモノ」で「のたうちまわってから」だ というクセがついている

…なんだコレは。 自分でもわからん

ただ「水と葉っぱ」がボンヤリと霞の中で見えているだけで 進行状況としても1割なのか マイナス1割なのかもよくわからない 枯葉にはヘンテコな色を塗るかも知れないし 背景は もう少し水面らしくする試みはしそうな気がする程度

 

こんなことをやりながらいつも思う 「出来損ないのまま」

 

私は出来損ないのまま 62歳を迎えてしまった

音楽でもやっていれば 技術の確かな「積み重ね」があるから それが自信となって 充実した老年を迎えられたかも知れない

けれど いまだにこんなことやっているようでは 美術でもカラッポだし カラッポだから 30年以上たずさわった「教育」に関しても 「こうだ」などと自信をもって言えることはなんにもない

退職後 友人が離れて行った 空虚になった ゴロゴロするだけになった… こういうのとは自分は少し違う場所にいるような気がする

朝焼けの中気まぐれに歩いたり 走ったり 寝たり 妄想したり 大体5歳程度の思考と試行を1人でゴチャゴチャやっているに過ぎない だから自分を「幸福・不幸」だと 5歳の頭脳では感じる余地もない

 

絵を描くときは いつも 小汚く意味不明の状態からのスタートで それが変わっていくことが ガキ頭の意欲をかきたてるわけだから… 「好奇心だけ」で描いているに過ぎないのだと思う

 

kei