「蜘蛛の糸」問題については 私なりに答えは出たような気もしてる・・・
二極論の枠組みから抜け出せないうちは 人は争いを止めない
カンダタが地獄に逆戻りしたのは「自我」と「彼我」を区別したからに他ならない
そういえば
フロイト論の例外については言及していなかったっけ
「脳にとっては第一優先は生命維持であり、それをするために脳は不安を鋭く察知し身に危険が及ばないようにするのである。」 これが心理の9割 「深層心理」と言われるモノ
しかし「時として生命維持よりも 現状の否定が勝る例外もある」
「若い画家」 91歳に描いた作品
ピカソ最後の絵には 自己否定が一切見られない
なので子どものような絵 清々しいほどに…
子どもの発達途上「絵の危機」と言われる年齢がある。
それは小学校3年生か5年生くらいの期間。10歳前後だろうか・・・。
なぜ危機かと言えば「思う通りに描けていない。」という自己否定(批判)
が芽生え始めるからだ…そして自分に「自分は下手」と烙印を押して絵が嫌いになる。
パブロ・ピカソは8歳の頃からそれがあった。すでに自分の絵の批評ができる。肯定も否定も兼ね合わせている。だから 幼い頃から「大人の絵」を描くことが出来た。
先に書いた「フロイト論の例外」については このようなケースがあった
産後 自ら列車に飛び込び亡くなったHさんは妊活をしつづけ、やっと子どもを授かった。
そこにたどり着くまで どれほど己を励まし、肯定し続けただろう・・・
おそらくは不自然なほど「YES」を自分に言い続けたのではないかと思う。
「反抗期」というものが「NO」という言葉の意味そのものを理解する時期であるように…
Hさんは「自己防衛本能」にさえ「NO」を突き付けかったのかもしれない。
フロイトさん。 だからあんたがいうほど 人間は単純じゃないんだよ。
あんたは「生きる」ということを目的のように、前提のように言っているが
生は「単なる状態」にすぎないとも言える
「単なる今の状態=現状」を覆すという単純な理由で、自ら死を選ぶという手段をとることさえある・・・のじゃないかと思う
人は自らに「肯定」と「否定」繰り返す
愛されるために
騙されないために
失敗しないために
付和雷同しないために
我が子を正しく育てるために
豊かになるために
けれど そうして 目は濁っていき 自分自身に向けてさえ猜疑心も生まれる
そして二極の狭間で 苦しみ続ける
私の絵もまたそうだ
ただ「落書きでいい」と吹っ切った時 一応なぜか完成した
これからは 二極の狭間で悩みながら生きていくのはイヤだな・・・
それを具現化するには 言葉でなく もう行動しかないのかもしれない
2017年「White Lily」 そのときに描いた絵 今ではヘタだと感じる
kei