kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

ニーチェ 「正気と狂気の狭間」

2021年10月11日記事

・・・またあんまり読まれそうにない題名だと自分で思う
ただ 今日考えていたことはコレだったので ソレを書くしかない
ニーチェが死の1年前 なぜ「狂った」と周囲から断定され精神病院に入院したのか 
wikiによれば
その一つは往来で騒動を起こしたらしいこと(内容は知らない) それと知人への手紙の内容からということだが おそらくは親しい間柄の者が見ても「ニーチェ本来の(尋常の)目つき・表情ではななかった」のだったのだと思う ただそのような記載がないので ワーグナーの妻 コジマに宛てた手紙から推理するしかない
「私が人間であるというのは偏見です。…私はインドでは仏陀であったし、ギリシアではディオニュソス。…アレクサンダーとシーザーは私の化身、ヴォルテールとナポレオンでもあったし、…ヴァーグナーだったことがあるような気もしないではありません。…十字架にかけられたのも私です。…今は勝利に輝くディオニュソスとしてやってきたのです…そして、天は私の出現を歓喜して迎えている…愛しのアリアドネへ、ディオニュソスより」 
このような手紙だった

この手紙から感じることは「オウム真理教」と似た種の思考で それは自らを「絶対者」としてしまったことによるのではないかと思い始めた(全く逆に 自分は「遍在的存在」とも言っている気もするが)
ニーチェ自身はその大いなる思想として「絶対など無い」と断言しているのにかかわらず 狂気の領域に入った瞬間「矛盾」した様相を呈している 私はそのように感じた

オウム真理教という宗教も同様で 信者内部で悟りの度合いに応じて「正悟師」「正大師」とか どちらが上かもわからないが…自らは仏陀か何かの生まれ変わりで 破壊神シヴァでも宿っていると思っていたのだろう そのような者が断じる言葉は「全て真理」であり 命じることは「神のお告げ」となるわけだ

やまゆり園での大量殺戮者 植松聖にも「絶対的理念」というものがあった

そしてニーチェ自身「神は死んだ」という 当時としてはとてつもないことを主張したわけだが 主張の内容は至極マトモで 神に依存することは「絶対者」に依存すること それは「ルサンチマン」という負の感情に染まることであり それよりも 自身の生存の前提となる価値を持ち その世界の意志によるすべての結果を受け入れ続けることによって 現にここにある生を肯定し続けていくことを目指したものであり そういった生の理想的なあり方として「超人」を提唱した
だから自ずと時間的連続性 環境的多面性を持つ世界ということになり その中で真理をみつけるように勤めよ……という事なのだろうと思う
だが ニーチェは最後「絶対」の領域に入り込んでしまった だから「狂った」

私が今考えていることは 実は結構危険なことだと知っている

それは『「絶対」という思考の持ち主 その言葉を多用する者はすでに狂っている』
ということなんじゃないだろか・・・
「狂気」と「正気」の一線など無いと 今の私は思う
ただ「絶対」にもたれかかること自体が狂気かもしれぬ ニーチェ本来の思想はそうだ


ピカソという画家も狂気と正気の間を往復し続けた人物であり「相対」というキュビズム的思考・感情と「絶対」という伝統的技法の間を揺れ動いた
恋愛相手との別れが近づくとこのような絵を描いたと言われる「泣く女」(キュビズム女)

ところが 新しい恋人ができると持ち前の傑出した技量を発揮し

キュビズムなんぞそっちのけ とりあえず美人に描く

ピカソという人物は「ともかく自分がヤバイ状態になるとさっさと変容する・逃げる」という術を持っていたのじゃないかと思われる
ニーチェはその点 逃げるのが下手だった それはゴッホとも通じるところがある

少し話が逸れたが ニーチェ仏陀の言葉にも傾倒していた
であるなら 狂気の領域に踏み込まなくて済んだのではないかと私は思うのだ…
仏陀こと ゴーダマは言う「これが真理だと言った瞬間真理でなくなる」「悟ったと自覚した瞬間悟りから離れる」「存在は空であり 空が存在である」
 
ゴーダマはさらに言うだろう『「絶対」も「相対」もありはしない または「同じものでありながら同一でもない」』

もうこれ以上書くと こちらの頭もマズイことになりそうなので ここら辺で止めときます

 

kei