今日のウォーキングングはこの問題を解こうとしながらやっていた。
「 現実が夢ではないことを証明せよ 」という入試問題を哲学的に考える - 〈 It / Es 〉thinks, in the abyss without human. (hatenablog.com)
上記の記事を読めば 論理的に納得がいく方もいるだろう でも私は読んでない
自分で納得し 実感しなければ意味が無いので 敢えて読まなかったが これから私が考える内容と重複していたり 逆に反していることもあるだろう… それを前提に この記事を読まれる方々にも考えて頂きたい。
当初私は「この世が夢でないことを証明せよ。」という問題だと思っていたが この世でなく「現実が」と記されていることは 私にとってはむしろ楽だと思った
なぜなら 「現実」と「夢」を問題によって すでに対比させているからで
「現実≠夢」であることを証明すればいい事になる
私は この世界を「現実も夢も混在した世界」と考えている 人間はレム睡眠時夢を見る その夢はその人の現実の言動に影響を与える いや影響を与えているのではなく「混濁」しているのだと思う 日本だって「卑弥呼」の時代はそうだったろう 当時の人々は「夢と現(うつつ)」が混在してる未分化の世界を生きていたのではないかと思われ それは源氏物語でも引き続き描かれている つまりは「現実」「夢」というテーゼ自体が近現代的思考で 現代という一時の概念が対比的に提示されているだけで「普遍的なテーゼ」とは言い難い
今私たちが存在してる「この世」は現実とは言い切れない それと全く同じ論拠で夢でもない 科学の世界では 宇宙は7次元だとか11次元だとか言っているわけで この世が本当にこの世なのかどうかさえ疑わしい
人が一般的に「現実」と「夢」を別けて考える理由は「連続性」と「確実性」に依拠していることが多分にあると思う
例えば 「昨晩ベロベロに酔っぱらい 酒瓶 グラスをひっくり返して大の字に寝てしまう そして起きる」と酒瓶もグラスもひっくり返ったままである この事象は連続的かつ確実である
だがそうならない一日もある 同じアパートの隣の部屋が火事になると連続性は失われ 酔って寝てしまった男は目を開けた瞬間 煙と炎をみて「現実」とすぐに認識できるかと言えば難しい「すぐに現実だと判断できないこともある」という点で 「現実と夢」は古来から現代に至るまで やはり「未分化」だと思われる
そこで問題に立ち返り再考してみると 本来未分化だったものが「便宜上2つの概念に分離しただけ」であり 現実が夢でないならば 夢もまた見ている間 現実として感じられないことになる
「未分化」という考え方以外にも 「非A非B的思考」もできそうだ
夏草や兵どもが夢の跡
芭蕉が詠うこの句こそが この世であり この世は現実でも夢でもない とも言える
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