kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「生けるものは 死ぬ時がきたら死ぬ」

同居人の父は医師だった 家族の大黒柱として優しく懐の深い人だった 3人の娘たちがTVのチャンネル争いをしている間 観戦中のプロ野球をあきらめラジオで聴いた そんな父が急遽夜勤ができなくなった医師に代わり夜勤をすることになった 翌朝 心臓発作だったのか 朝には冷たい体になっていた 5人の子持ち 40代半ば いたって健康で優れた内科医だった 丁度 娘である同居人は小学2年生 何が起きたのかもわからず冷たい体となった父の布団に入り添い寝をした

察するに 同居人は自覚の無いPTSDを抱えてしまった そのため自動車を運転する時 同乗する時極度に緊張する その理由は「突然の 予想外の 無情の死」を恐れているのではないかと思う

歌手 中山美穂氏が入浴中亡くなった 当人にとっては予定外だっただろう…

その報せを聞いた者は「死因」について 様々な推理をすることになる

「ヒートショック」なる言葉も突然広がり 風呂は「死に至る危険な場所」に変わってしまった 実際の死因はこれではないようだが 大衆はこの言葉と意味を学んだことになる ただ…本当の死因は何だったのか? それを追いかける者は消えることはない

ジョン・ベネちゃん事件にしても 更に遡ればマリリン・モンローの死因も 今になっても追いかけている人はいるだろう

そのような事件・事故について数年・数十年をかけて追いかける人を否定するつもりはないし ライフワークとして取り組んでいるなら尊敬さえするかもしれない

が… これら事件には重要な共通事項がある 「それらは全て『過去のこと』」

当然歴史学者も過去を調べ研究する学問だが それが「今 この瞬間」と比べてどれほどの重要性があるのかは わからない 

実際 過去を真実として暴けるのか?という疑問さえ湧いてくる

私は兄が何故かガリガリに瘦せてしまった写真が送られてきたのを見て

そして 突然死PTSDを抱えている同居人に対しても

「病や事故で死ぬのじゃなく その時がきたら死ぬ」と応える

自殺もこのカテゴリに入り 当人にとってその時だった ということだろうと思う

 

前回「引きこもり」について妙な記事を書いたが 私は引きこもっている子と 引きこもらず毎日学校に通う子どもの違いがよくわからない。「義務教育」という言葉が2者を峻別するのか 「人は一人で生きていけない」というアドラー心理学を信奉しているのか…だが「当人にとって いい人生」がどちらになるのか…などわからない

「引きこもり」とか「自殺」という言葉に対し 過敏になる理由はわからなくもないし 実際に関りを持った親族や家族には 心に深い傷を負うことにもなると思う

但し 一歩引いて「自然世界」を見たり「アフリカや北朝鮮」の様相を見る限り 1歳にも満たず死ぬ子がいて では一体は何のために生まれてきたのか? という疑問が湧いてくる 当然理由は私にはわからない 「~のため」という目的などハナから無いから 自由でいられる気もしなくもない

表題は 他者を突き放した 高飛車な言葉ではない

私自身その時がきたら死ぬ  それ以降は他者が為すがままの物体へと変わる

 

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