kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「余命2か月」

記事を書いた後 裏を取ることがある。

そうすると年代を間違えていたり 事の前後が間違っていることに気づく

そうして加筆修正したりもする。

けれども 記事の当初は「裏を取ることをしない」

取ってしまうと 文章に迷いが生じたり 別の主題にズレて行ったりするので…

 

坂井泉水さん」の裏を取ってみた

1990年代 彼女は会社設立者でありプロヂューサーと恋をしていたこと 病を機にか 後に関係が切れ 彼女が何度連絡しても「取り合ってくれない」状態だったこと そして死寸前のメッセージが その男に向けてのものだったこと等がわかった また2006年 子宮頸ガンによって卵巣摘出の前までは 新曲を制作し 本来苦手なはずだったコンサートさえやろうとし 音楽に意欲的だったことがわかった。

ただ 私の予想通り「肺に転移」した時点で 命のともし火は秒読み体制で 家族には「余命2か月」と伝えられていたそうだ

余命2か月……これを余命と呼んでいいモノかどうかと思った

私事だが 父の余命は「約半年」と医師から聞いたが 結局2か月だったので 予定が狂い 生きて再会することは出来なかった

反して余命1年と言われても 2年、3年 それ以上生きられるケースもあるのだろう…

 

いつも思う事がある

「人は病気や事故で死ぬのじゃない。死ぬ時に死ぬ。寸前『アレを忘れていた!』と必ず悔やむ。」

「運命論」とは かけ離れた発想で 私はそう捉えている

 

余命2か月とは「いつ容体が変化しても いつお迎えが来てもおかしくない」という部類の余命であり モルヒネの投与も経口薬なり 点滴で既に行われていたのじゃないかと思う なので「不可逆的・確実な死」を迎える状態

それを泉水氏当人は「知らなかった」 

家族が伏せたのは 諸事情を鑑みて「それが妥当」と判断したのだろう…

 

彼女の死を「自殺か事故か はたまた他殺か?」とか取り沙汰されたりしているらしいが…ナンセンスだと思った

周囲は「事故説」を主張したりしているが 病院側は「自殺ではないか」と云っている

状況的には というか形としては「自殺」ということになるのだろうと私は思う

その理由は「場所・時間・落下の仕方」3点による

「5月26日午前5時40分ごろ、入院先の慶應義塾大学病院内のスロープ状になっている高さ約3メートルの地点から転落し…」とあるが 他者の目につかない時間と場所 そしてなにより後ろ手でスロープのパイプを握り 座るようにして後ろ向きに落下した。と判定されているからだ

だが 「せん妄状態」だったかも知れないと想像すると これを「自殺」と呼んでいいモノかどうかわからなくなってくる 当人は自身の「秒読み態勢」を抜け落ちた髪や瘦せ細った肉体からでもひしひしと感じていただろうし 何より当人である。「今日であっても 明日であってもおかしくない」と 脳を含め体全体がそう告げていたはずだ…そのような人物が自ら高所から落下したからと言って「自殺」とはどうも思えない。

ただ 2つの事柄が私の頭をかすめる

①たとえ2か月であっても「当人に告知したほうが 心構えができた」という点で 良かったのではないか? 私なら余命1か月でもそれを強く望むだろう。しかし 家族はその時点で最良の選択をしたのかもしれないので何とも言えない…

②「安楽死」という 新しい形の死 

スイスやオランダで相当数実施されているこの形態の死は 色々問題も起こりそうだが 彼女の場合「落下による脳挫傷」よりも 縁ある人々に挨拶を送ったり 歌を歌ったり 言葉を残したり…と色々準備もできただろうし 何より安らかに逝けたのではないかと思う この形態の死は日本でも今後 議論・検討されるべきものだと思う

「自殺か事故か」どっちだから どうだというのだ 何が違う?

安楽死は「自殺」の範疇に入れるべきか? 

人の死を分類して一体何の意味があるのか…よくわかなくなった

ただ 坂井泉水その人の 胸中を察するに 私の想像を遥かに超える 苦と悲しみと絶望の中に在ったことは確かだろうし

慈しみと共に いずれ自分も「ちゃんとその時が来て死ぬ」と感じている

 

この時の表情は 自信によって「輝き」が見られ 清々しい


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付記:「負けないで」の歌詞をふと思い出す。よく考えると「輝いていて」等 たとえ恋人に対してであっても「手厳しい歌詞」だと感じる。あまりにポジティブ過ぎて。

しかし おそらく彼女は恋する人に向かって あのような歌詞を作ったのではない。「自分自身に向けて作った」これが「坂井泉水」という一人の 生の物語であったと思う