kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「不如意」

人は個人として生きている限りは自由だ…と思う

行きたいところに行ける 食べたいものを食べられる 

でも そうではない人もいることも 忘れてもいけない

「人は自由な生き物か?」と問われれば 私は「際の状況では違う」と答えるだろう

でもそれは 生きとし生けるもの全てに言えることだ

 

胃潰瘍で吐血し31歳で亡くなった北海道の天才画家 三岸好太郎の書簡にはこう書かれていた


「生きたくても死ななきゃならない。死にたくても生きなきゃならない。」

 

この論理からジャンプする方法論として「自殺」があるのでは? と思ったのは若い時

自ら死を選んだ者の中でも 生きたかった者がいるような気もする

今日のような明日 明日のような明後日 明後日のようなやの明後日が来る その後は休日2日が来て このサイクルで無自覚のまま生きている人にはピンとこないだろうが

三岸の言葉は 事故で落命しないかぎりは 

誰しも関係なく突き刺さって来る不可避の言葉だと私は感じる

それは絶望的な戦場に赴く兵士でさえ免れることができない

 

死ななきゃいけない。生きなきゃいけない。その時人は天を仰いで嘆くだろうか? 

でもそれはやっぱり「お門違い」というものだろう

人間の生の 肝心の部分は「不如意」に出来ており

異議を唱えても詮無いこと

 

人は自由だが 思うように生き 死ぬことができない

 

31年の生涯で これ程目まぐるしく変貌を遂げた画家は少ない 

最期はシュールリアリスムとなり ピンク色の夢の海岸で貝の夢を見ていた

kei