kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「天寿」

さっきシャワーを浴びている最中「公民館放送」があった。

土日も欠かさず夕方6時半になったら 「お家に帰りお手伝いやお勉強を始めましょう」とか…

私にとっては 時刻まで指定する傲慢さも相まって 下らぬ放送を大音響でやられて傍迷惑である

「全ての子どもが 一般的家庭で平穏に過ごしている」と思い込んでいるから

こんな放送してしまうのだ 「大方そうだろう」といった 当て推量による大人の呼びかけは残酷で 無神経である

シャワー中の放送は管内のどなたかが亡くなったという放送で 明日〇〇時に告別式が催される という内容だったが…「90歳で天寿を全うされた」とも話していた

 

90歳で天寿を全うされた?  故人に失礼かつ 非常に愚かな言葉だ

こんな表現を大の大人が それも放送で言ってしまうとは…

 

何歳なら「天寿」と言えるのか 85歳 90歳? それとも100歳か?

織田信長は47歳で 明智光秀の裏切りに遭い落命した これは天命・天寿か?

故人自身が「天寿」と感じていたかどうかわからないのに「長年生きたので天寿」だと他人か勝手に決めつけているだけだ 死者への冒涜だろ?こんなの

 

「死」に年齢など関係ない

 

3歳で死のうが 120歳で死のうが 「存在が消えることには変わりはない」

友人や同僚の親が亡くなった時 90歳だった。と聞いても「天寿を全うしましたね」などと口が裂けても言えないし 私は大抵「親が何歳で亡くなっても喪失感は残る 悲しみが本当なのだと思う」と告げる

 

アインシュタインなら200歳で死んでも天寿じゃないってか? もったいないから

 

バカバカしい…

人の命を「天」になぞらえ語ることは 「人」のすることじゃない

 

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