さっきシャワーを浴びている最中「公民館放送」があった。
土日も欠かさず夕方6時半になったら 「お家に帰りお手伝いやお勉強を始めましょう」とか…
私にとっては 時刻まで指定する傲慢さも相まって 下らぬ放送を大音響でやられて傍迷惑である
「全ての子どもが 一般的家庭で平穏に過ごしている」と思い込んでいるから
こんな放送してしまうのだ 「大方そうだろう」といった 当て推量による大人の呼びかけは残酷で 無神経である
シャワー中の放送は管内のどなたかが亡くなったという放送で 明日〇〇時に告別式が催される という内容だったが…「90歳で天寿を全うされた」とも話していた
90歳で天寿を全うされた? 故人に失礼かつ 非常に愚かな言葉だ
こんな表現を大の大人が それも放送で言ってしまうとは…
何歳なら「天寿」と言えるのか 85歳 90歳? それとも100歳か?
織田信長は47歳で 明智光秀の裏切りに遭い落命した これは天命・天寿か?
故人自身が「天寿」と感じていたかどうかわからないのに「長年生きたので天寿」だと他人か勝手に決めつけているだけだ 死者への冒涜だろ?こんなの
「死」に年齢など関係ない
3歳で死のうが 120歳で死のうが 「存在が消えることには変わりはない」
友人や同僚の親が亡くなった時 90歳だった。と聞いても「天寿を全うしましたね」などと口が裂けても言えないし 私は大抵「親が何歳で亡くなっても喪失感は残る 悲しみが本当なのだと思う」と告げる
アインシュタインなら200歳で死んでも天寿じゃないってか? もったいないから
バカバカしい…
人の命を「天」になぞらえ語ることは 「人」のすることじゃない
kei