kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「FMラジオ」

沖縄では米軍基地から「FM放送」を聴くことができる

今までは 好きな音楽をかけて職場まで職場に通っていたが

修理に出したため 代車のFMの英語放送を聴きながら通っている 何を話しているかはてんでわからないが 時折かかる「曲」がいい

聴いたことのある曲が流れる それもとても好みの曲 でも曲名がわからない

新しい曲もある そっか…こんな歌い方もあるわけだ。とか思う

たしか 曲の一部を認識しただけで 曲名を見つけてくれるソフトがあったと思うが 私のスマホにはそれは入っていない

だから1度聞いたら その時間楽み 過ぎ 忘れ去っていく

 

「時間」とは本来こういうものだ と自分に言い聞かせる

 

どんな楽しい音楽も どんなに大切な時間でも 「時間よ止まれ」と言っても

止まりもしないし 戻りもしない

ラジオはそれを教えてくれる

 

音楽は流れるモノ しかし反復して聴くとドンドン 当初の感動を忘れていく

ギターの弾き方がどうの ドラムの打ち方はどうの…とか 細部の方に気が行っていまう だから 反復は「良し悪し」だと思う

 

宮崎駿が言っていたっけ…「うちの子が毎日トトロを観ているんですよ」という言葉に対し「勘弁してくれ」と。 ルーティンという繰り返し 日常 と 感動は反りが合わないモノではないかと思う

 

今日の帰りの車のあの曲 また聴きたい でも 聴けない

時間というものは どんな些細なことも 2度繰り返すことはないから


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この曲を聴いたわけじゃないけど こんな気分で歩けたら楽しいなぁ…

明日から3日 また名古屋。