kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「ロールプレイ」

ミケランジェロは事も無げに云う「石塊から邪魔なもの除くだけ」それで作品となる

即ちこの「彫刻」が白大理石の塊に内包されており 邪魔を取り除いたらこうなった。

 

現代に至るまで ここまでの域に到達しているのはロダンを含め いないだろうと思う

だから「史上最高の彫刻家」は1500年代に存在したことになる ギリシャ彫刻でも敵わない

「天才」といってしまえばそれまでの話 だが「天才」とは一体何なのか 一線を引いてしまうと 思考停止に陥り 結局何も考えなくなってしまう

天才とは「弛まざる努力の結果生まれる」とか「1の才能9の努力」とか色々言われているが 結局正体不明である

 

なので方法論的に考え直し 「別の感覚」を得ようと足掻いているのが今

「ロールプレイ」というのも一つのアプローチとして考えている 別にロープレゲームのことでもないし 精神療法としてロールプレイを考えているわけではない

 

「対象になり替わる」 今はそれしか考えていない

例えば音楽を聴く


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Santanaの「Hold On」いい曲である とりわけサンタナの「引っかかるような 躓くような 伸びるような 熱を帯びた」ギターは流石と言うほかはないが 聴き惚れていてはダメなのだ 「サンタナになり替わる」必要がある その時邪魔なのは「自我」であり「自己解釈」である

 

前回の記事は不人気だったようでゴーダマの「存在=空」「生=死」と簡単に書いてしまったのがマズかったのか しかしこれら4つの単語に「非」をつけても同じことだと今は感じる「死者になってみる」「若者になってみる」「女になってみる」…

 

「描いている絵になってみる」「風景になってみる」 今は上手くできない 

できないが 私には必要なのだ

そのためには「自分を消し それ以外の全てになる」状態をある程度維持できないと と思う

 

反対に 自分のことや自分の周囲の人やモノのことを考えると 精神が痩せていく気がする

 

kei