「 しょうらい」と読む 私は谷川俊太郎の詩からこの言葉を知った 「鳥羽」と題された一連の詩は 何もない 希望も 直観も失った「カラ」の自分の物語
鳥羽10
~略~
書きかけて忘れてしまった一行を
思い出したい
一語すら惜しみ
私は言葉の受肉を待ちうける
眼を射る逆光
途絶えぬ松籟
どんな粉本もない
泉鏡花他 多くの作家がこの言葉を用いている 松の間を吹き抜ける風はインスピレーションと関わっているようにみえる
現代作家として台頭してきたのか エリック・ヘイズという画家
この絵を見たとき「やられた」と思った 自分と似ている感性を持つ者だとわかる でも先に視覚化されてしまった 後の祭りである
今の私にはインスピレーションも一片の言葉もない
無風状態 教師のアルバイトも内情を知っているせいか 手が伸びない
吉岡実の詩の一片のように「押し石一つが欲しいよ」だけなのかもしれない
私の中のエンジンは眠っている 眠りながらあがく 手っ取り早く写真を撮る
私には 幸福も不幸もない
朝 水は凍えるほど冷たかった 水に触れながら北朝鮮の人々の生活を思った
不幸であるわけがない
ならば 「カラ」である自分も 幸福でも不幸でもない
松籟が吹けば歩みだす その時言葉は後から 吃音のように響く
kei