kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「宗教」のはてな?

2万数千年前 クロマニヨン人は死人を放置せず「葬ることを覚えた」とJ.バタイユは書いている これはとても重要な変化である

「いずれ自分もまた死ぬことを予知できるようになった」から

当時は「狩猟採集」で生き 当然病院や薬があるわけがないので

今日は腹いっぱい 家族仲良く眠ることが出来たが 明日はどうなるかわからない

ゾウ等猛獣に襲われるかもしれないし 感染症で集落全員があの世行き ということもあったかと思う その時クロマニヨン人は強いジレンマに苛まれた だからバタイユは「宗教」を生み出したと云っている

なので 宗教とは「あの世の存在を信じる」ことに依拠していることになる

 

イスラムのジハード 自爆テロを起こせば 美しい天使2体が両脇を優しく抱えて 永遠の平和と快楽の世界=天国に連れて行ってもらえることを信じている

ユダヤ教にもキリスト教にもオウム真理教にも「あの世」が存在する

だから宗教なのだと思う

 

仏教…は疑わしい部分がある

というか どの宗教でも後々背びれ尾ひれがついて 時代が進むと変容し分派を生み出していく ゴーダマ=シッダールタが生まれた瞬間「天上天下唯我独尊」と発音し右手を挙げたとか どの宗教に見られる「奇跡」じみたウソが多分に盛り込まれる(と私は考える)

私が考える 面白い考え方は

「仏教を信仰しなくてもいい。生きる上で使ってくれればいい。使い終えたら捨てていい。」

これをゴーダマ自身が発したわけなので 原始仏教は宗教じゃない

信仰しなくてもいい という物言いも驚きだが 生きる上で使ってくれればいい。というところが死後の世界などロクに考えていないことがわかる

私は仏教徒ではない 死後の世界はあってもなくてもどうでもいい というか 見たことがないのでわからない 立花隆の言うように それには「黙する」ことしかできない

だがゴーダマの言葉は私の胸に滲みる 般若心経然り この言葉然り

 

死を超克するために生まれた「宗教」

何故それによって 人同士で殺し合うのか…もう6000年以上それが続いている

kei