2万数千年前 クロマニヨン人は死人を放置せず「葬ることを覚えた」とJ.バタイユは書いている これはとても重要な変化である
「いずれ自分もまた死ぬことを予知できるようになった」から
当時は「狩猟採集」で生き 当然病院や薬があるわけがないので
今日は腹いっぱい 家族仲良く眠ることが出来たが 明日はどうなるかわからない
ゾウ等猛獣に襲われるかもしれないし 感染症で集落全員があの世行き ということもあったかと思う その時クロマニヨン人は強いジレンマに苛まれた だからバタイユは「宗教」を生み出したと云っている
なので 宗教とは「あの世の存在を信じる」ことに依拠していることになる
イスラムのジハード 自爆テロを起こせば 美しい天使2体が両脇を優しく抱えて 永遠の平和と快楽の世界=天国に連れて行ってもらえることを信じている
ユダヤ教にもキリスト教にもオウム真理教にも「あの世」が存在する
だから宗教なのだと思う
仏教…は疑わしい部分がある
というか どの宗教でも後々背びれ尾ひれがついて 時代が進むと変容し分派を生み出していく ゴーダマ=シッダールタが生まれた瞬間「天上天下唯我独尊」と発音し右手を挙げたとか どの宗教に見られる「奇跡」じみたウソが多分に盛り込まれる(と私は考える)
私が考える 面白い考え方は
「仏教を信仰しなくてもいい。生きる上で使ってくれればいい。使い終えたら捨てていい。」
これをゴーダマ自身が発したわけなので 原始仏教は宗教じゃない
信仰しなくてもいい という物言いも驚きだが 生きる上で使ってくれればいい。というところが死後の世界などロクに考えていないことがわかる
私は仏教徒ではない 死後の世界はあってもなくてもどうでもいい というか 見たことがないのでわからない 立花隆の言うように それには「黙する」ことしかできない
だがゴーダマの言葉は私の胸に滲みる 般若心経然り この言葉然り
死を超克するために生まれた「宗教」
何故それによって 人同士で殺し合うのか…もう6000年以上それが続いている
kei