kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「三つの時間を生きる者」

…とスフィンクスが「なぞなぞ」を出したりしたら その答えは「ホモ・サピエンス」となり 元々の謎解きの答えと同様になる しかしスフィンクスは「笑う」のだ

人は常時「過去・現在・未来」を生きており 記憶と未来推理と欲望という力で「いつも三つの時間を生きていると勘違いしているのが 人間」という生物なので 正解ではない。と…

実際に眠っている時間は これらのどれかわからないし

メメント・モリ(死を想え)」というラテン語の解釈も「未来に起こることとして認知しているなら 想っていないのと同じ」という事になりはすまいか…

 

人間も生物であってみれば「今」しか存在していないし 生きていない

おそらくこれが本当だと思う

 

前々回の記事では上手く書けなかったが 突き詰めるとこういうことになる 過去は今存在していることの証拠となるかもしれないが 未来は何も見えないどころが「いる」という保証さえない

人は「積み立てNISA」をしたりする 今はオルカン(オールカントリー)とか アメリカ株投資全般とか 日本株もけっこういけそう とか「未来」があたかも存在しているかのように というか「未来に投資することで 逆説的に『未来が存在する』」と思い込んでいる感がある

ところが図らずも スキルス性ガンなどに罹っていることがわかり 見つかった時には手の施しようがなく まして40歳以下であれば ガンはみるみる広がり「死」が急行列車で迫って来る

その状態になれば 人にとって「今だけ一つ」しかないことが解って来る カネは貯められるが 時間は貯めることができない

 

私を含め現代の人々は「とある精神的病」に冒されているのではないかと思う時がある

それは「過去・未来病」 最も大事な「今=現在」が欠落している

「過去・未来病」が進行すれば 人は自壊してしまうのではないか…

「万物は流転」といいながら「諸行無常」といいながら…

「今」という ただ一点だけが 輝いているようにも見える

kei