kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「過去・未来病」

と 私が勝手につけた病名 

つけたからには「ある」かもしれないが

医学の世界では存在していない病

ありもしない病気を生み出すな。 ごもっとも…

ただ 病に罹る時 とりわけて精神的な病にかかっている時「類型として推定されるのがコレだから 〇〇病 〇〇障害」と診断書に書かれているからと言って それが 当たっているどころか 存在している病気や障害なのかはわからない

支援学校で教えていた時 一応生徒一人一人の「障害名」を確認するが 中には「完全な誤診」だと感じてしまうのは 1つや2つではない 自閉スペクトラム症であるのに それが一切記載されていない…とか けれどそのような診断を受けていない以上「応じた対応ができない」というディレンマを背負い込まされてしまう

「病気」とは かようにモヤモヤしたもので 特に精神的な困難の場合などは「複合的かつ表面に顕れないため」病名をつけられないはずのケースが少なからずあり それを無理につけるから「信憑性」が落ちる

ゴールデンウイーク明けの翌日 調査だけでも「30万人」の小中学生が欠席をした 事実だけを見れば病とは言えないが 一つ一つのケースに足を踏み込めば「病」だった という事もあるかと思う

なのでもし 病名をつけるなら 私は「過去・未来病」と呼んでもいいケースがあるのではないかと思った そしてこの病気は何も小・中学生に限ったことじゃない 「日本と言う国に蔓延している病」だと感じている

 

今もウクライナでは軍用地でもない場所に「突然3トンの爆弾が落ちてくる」落下地周辺の住民は屋外に居た場合 熱と爆風で簡単に落命する そうして亡くなった人にとって 過去も未来もあったものじゃない

アフリカでもいい 未来として勘定に入れらるのは「向こう一週間分の食事」しかなく いつアフリカゾウが家ごと潰すか いつ反目している部落の兵士が襲ってくるかわからない

おそらく このような例はごく一部に過ぎず 「先進諸国」に住む人々にとって想像もつかないことが沢山あるのだろう

 

「過去・未来病」に蝕まれた日本や韓国等が人間らしいのか 「その日暮らし」が人間らしいのか と考えても「どっちも人間らしい」に決まっている 多様性 順応性こそがここまで人類を存続させてきたわけだし…

ただし この多様な事実 多様な生活があることだけは 私は忘れたくない 時に残酷 時に無情であるかもしれないが これらを排除して「自分だけの過去と未来」ばかり見ていても 病は進行するだけだと思うので とりあえずは「私の老後」は二の次でいい

海浜公園に立つ「立体作品」 おそらくは「抽象立体作家」として名を馳せた人なのだろう 未来へのモニュメントとして残そうと創られたモノなんだろうが なんとも不格好で不出来な代物 

茨木県「牛久」にある「牛久大仏」は高さ120m 左の手掌に「奈良の大仏」が乗る程デカいそうだが コンクリート造りの「無用の長物」としか見えぬ代物 仏像として美しくも何ともなく ただギネス世界一を狙っただけ こんなモノは未来には要らず 「未来病」の顕著な例ではないかと思う

kei