kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「目的と手段の履き違え」 ここ当分の記事まとめ

日本における少子化問題 世界 とりわけアフリカ地域における人口増加問題 非正規雇用等の貧富の格差の問題 岸田内閣がやろうとしているプラン 発達障害等「障害者数の異常な増加」の問題 日本の子どもの精神的満足度38か国中ワースト2位で 若年層の自殺が多い事…といろいろ考えてはみたものの

 

私の結論として浮かび上がってきたのは「手段と目的の履き違え」というものだった

 

手段と目的…これは下手をすると「ただの言葉遊びに陥る危険性」がある 何故なら「段階的に手段と目的について考えた場合」小目標は中目標への手段であり 中目標は大目標の手段となるわけで それは「日本国憲法」を基に法が生まれている構造と似ている

貧富格差は問題である。ギリギリの生活を余儀なくされている人も問題。戦争も問題。人が過度に人を警戒し その延長で「障害者」を増やし続け 経済格差のように「人々を分断」することも問題である。

だが これらには「大きな目標」となるものと そのための「手段」が混在しており 一体何から手を付けていいのかわからなくなる

…確かに問題だらけでプライオリティをつけるのは難しい

そこで私は大目標として「子どもや若者の屈託のない笑顔」を挙げたかったのだと思う

笑顔で腹が膨れるか?と非難を受けるだろう だから貧困の問題を「手段」として解決しなければならない

そうして考えると岸田内閣が言っていることは「カネ・金・かね」に偏重した政策であり 主張の中に理想が欠落しているか 尻切れトンボになっているか どちらかであることが解る

 

「経済的豊かさだけでは 未来を担う人々の笑顔は生み出せない」

 

政治家は「大目標」は何なのか主張しなければ立候補すべきでない

それはおそらく 抽象的で 個人的かも知れぬ だがそうだからこそ 個人に響く 「自民党」という保守政党はそれを長年取り組まなかった 人間をよく見ていなかった

 

ブータンは微笑みの国」と言われている 最貧国なのになぜ?

 

なぜ現代の児童生徒や若者は笑顔を失った? 

 

政治も経済も教育も 未来を担う子等の笑顔にかかっているとは思わないか?

 

それとも ナルニア国物語の第6巻『魔術師のおい』のように「廃墟の中に豪華な衣装をまとった大人だけが石像のように佇む 夕暮れで時間が停止した落日寸前の世界」にでも変えたいのか?

 

多くのアニメでは「この世界」に嫌気がさし 別世界にやたらと転生するのは ルイスが描いた「新しい風が吹く『ナルニア』」を 若い人々が願っているからではないのか。

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