kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「マスクをかけたモナ・リザ」

2020年06月03日 コロナ禍時代の記事をあと一つ

何故か職場にもこんなモナ・リザが貼られていた。

正直 言わせてもらえば最低である。 腹が立った。
この絵の中には啓蒙的思想も盛り込まれているのだろう。それがなおさらわざとらしく、大人の小ざかしさを感じ、やっていることは作者への冒涜が60%「みんなマスクを着けよう」という押し付けが40%というところか?下らん。 芸術をバカにするな。と思う。

 

しかしながら、このモナ・リザには1919年に描かれた有名な改作がある。

作者は「ダダイズム(芸術破壊運動)」の先駆者、マルセル・デュシャン。この絵の題名は『L.H.O.O.Q.』(フランス語発音: [el aʃ o o ky]、エラショオキュ)とは、マルセル・デュシャンが1919年に発表した作品。レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナリザ』を複製した安価な絵葉書に、デュシャン自らが鉛筆で口ひげやあごひげを描き加え、題名を付したものである。このL.H.・・・という題名の意味は「性的に興奮した女性」「尻の熱い女」
因みに「髭を取ったモナ・リザ」という題名の つまり、レオナルドの作品そのままのモナ・リザの複製も彼は発表している。

私はこの作品には腹も立ちもしないし、意味も理解できる。
ダダイズムとは訳せば「玩具の馬」の意味で 全く意味をなさない つまり芸術を根本からひっくり返す意図が込められている。
1917年にフランスのアンデパンダン(無審査)展で 出品しようとしたが断られた彼の作品は

「泉」と題された 買ってきた男性用の小便器で、R.MUTTという偽名の女性のサインが書き加えられている 展示は断られたが 美術の歴史の中で記念碑的な作品であることには変わりない。

デュシャンモナ・リザの本質を理解した上で髭を描き、敢えて題名を変えることで別な作品として生み出している。それは「泉」についてもいえることで、レディ・メイド(既製品=つまり買ったもの)でさえ、名付けることで(加えてこの白い便器は機能的な美しさがある)「作品」となることを証明した先駆者である。

実際ダダイズムは後世に大きな影響を及ぼし、ジャスパー・ジョーンズラウシェンバーグ等の「ネオダダ」の旗手を生み出し、その後はキャンベルスープの絵で有名なアンディ・ウォホールのポップアートの基礎となった。


けれどもマスクをつけたモナ・リザには下らぬ発想しかない なぜデュシャンモナ・リザに髭を描いたのかもわかっていない。
モナ・リザは「もうこれ以上手を加えることが全く出来な程に完璧な絵画」であるから、敢えてデュシャンは髭を足した。つまり、モナ・リザの超絶性を理解した上でそのようにしたのだと思う。
それに比べて安易にマスクをつけるのは ただの無知なバカ者の所業である。

 

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