kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「何色でもない花」   宇多田ヒカル

宇多田ヒカル氏とSF小説を書き直木賞をとった小川哲氏の対談の中で 宇多田氏の発言に共鳴した

宇多田の問いは「言葉とは何か?」というモノで 私もしょっちゅう考え続けている命題だった そこで宇多田は「音楽って言葉で表現できないことを表現するためのツールではないか。」という認識を語る では「何故音楽に歌詞という言葉が存在するのか?」という壁に当たることになるわけだけれど…このように考えているようだった

「伝えたいことを載せて他者へ届けるための、箱舟みたいなものが言葉。箱舟を動かすためには水が必要で、それが音楽。」だと こう理解しても「箱舟」のほうが主で 海は「媒体であり 空」として認知されそうだが 彼女の場合 メロディ等「音の海」が先に生じ その後に言葉が生じるとのこと 

私は これにも同意する 「芸術」などというご立派な言葉を使わなくても 音楽や美術は「言葉じゃないもの⇒もっと原初的なもの」が世界として先ず在って それを感じ 見ることが 創る動機となるからだ 

光 風 土 水 火 闇 そう言ったモノ… でもこれらは言葉としてのそれではない

 

私は絵を描き上げた時 殆どの作品に題名が付けられない というか「要らない」と感じてしまう だから「作品A」とか「無題」とつける作家もいるが それさえホントは要らない というか「無い」 ごくたまに言葉か飛び込んで来る時だけ 題名が付けられる

かように「言葉」は 音楽や美術に携わる者にとって 下手に理解されると阻害因子ともなり 風を受けて走る舟にも変る 「二次的産物」と言えると思う

だからだろうか…言葉で争い 言葉で規定する事にウンザリすることが少なからずある


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