養老孟子氏の何気ない言葉に気づかされることが多い
Q 自分の中に別な心があるみたいで不安を感じるのですが
養老氏: 動物という生体として「不安を感じない」というのは むしろ珍しいんなんじゃないですか?(※原始の頃からそれがあったというのが人間という生物だという意味だろうか?)
「不安」の正体がはっきり見えた時 それは「恐怖」に変わる 高所恐怖症であるとか 閉所恐怖症であるとか…だからボンヤリとした不安があると感じている方が 普通なんじゃないかという気もします 仮にもし「不安」を全部押しのけ 自分の周囲に立派な「壁」を作る人がいたとしたら そういう人を「バカ」と言うのでしょう?
これらの対談は「全て生きること」について が主題だったが
養老氏の独自性として強く感じたのは ごく当たり前の言葉だった
「ああ…苦しい 意識が薄れていく オレはもう死ぬ」と感じている時は 「一人称として感じられる時点で それは生きている証拠でしょ?」
死は一人称ではなく 二人称なんです。必ず
だから自分の死や死後を想像したところで 大して意味がないということみたいです
死んだ当人は このようなモノを考えてすらいず 増して望んでいるわけもなし…2人称と言われる近親者の思いの産物に過ぎないんでしょうね
kei