kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「意識」という幻影

なぜ養老孟子氏の言葉に学ぶことが多いと感じるかといえば 私の年齢に関係しているのだと思う。この間61歳になった この年になってわかること 染みわたることがある

養老氏の思考は「人間というより動物的」かもしれないし

精神論的よりも「唯物的」かもしれない

けれどそれだけでは語りつくせない深さがある

 

私は若者たちと授業を始めるにあたり2つの質問を書いて配った

そうした理由は 立場こそ違えど「互いに正直でないと授業ができない」ので

 

①今好きな事 夢中になっているものがあれば書いてください

②今困っている事 悩んでいること 辛いことがあれば書いてください

「誰にも漏らさない」という言葉も添えた

 

①については アニメとか ゲームとか バイクとかいろいろ書かれていた

 「金が欲しい」というのもあった 正直に書いてくれたことに礼を述べた

しかし問題は②である 殆ど書かれていなかった

10代後半に差し掛かる人々に「無いわけがなかろうに」と感じつつ それは未だ関係性ができておらず 信頼されていないからだろう… それともネガティブな事を書くことが自分に反射され戻ってくることを嫌うのか…ともかくほとんど書かれていなかった

 

ここで養老氏の言葉を私は反芻する

 

ある若者が質問する「自分の意識は一つの方向に向かいたがっていると思うのだが、同時に相反する意識もあり、自分の中に人格の多重性を感じてしまう。どうしたら良いか?」

 

養老氏は答える 「そんなの当たり前じゃないの?」

 

「意識というのは『一つの人格としての貴方』の中に在る 時間的には連続性を持ったアイデンティティのことでしょ? そんなもんあるわけないじゃないですか。」というような回答をする

 

別のパネリストの医学者はこうも付け加える 「あなたの体の中には60兆の黴菌がある 腸に至っては180兆ある なので一人の人間は数多の生物の集合体だ」と

養老氏はさらに付け加える「エスカレーターで上ろうとすると『除菌済み』と書かれている。それを見ていつもバカバカしいと感じる。あなたの口の中を調べてごらんなさい 無数の黴菌だらけだって知ってます? その一部が免疫となっているわけで 無ければエイズ末期患者のようにすぐ死んでしまいますよ」

 

このような話を聞いていると 「生体とは細胞・遺伝子レベルを基盤としているのが自然で 自意識だとか 自己同一性とか 大したことじゃない。ただ 現代人は『対人関係ばかりを気にして』幸福だとか 不幸だとか…だからヘンな袋小路に入り込む」ということか。

世界を「人間世界」と限定して思い込んでしまうことが そもそも誤りで

「仮にホワイトボードに 黒いマーカーで「白」と書いたとしますよね?」

それを見た犬や猫が「白」だと理解すると思いますか? 字が黒いのに…

 

このホワイトボードに書かれた内容に その意味に 人は動物であることを忘れ

間違いを起こし続けていることになる …これは私にとって大切な教訓となった

 

文字の意味を追いかけてばかりいると 自分が動物であることも忘れ 自分の身体全てが「自分だと思い込んでしまう」

kei