kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「回転するコイン」

父親が他界してもう20年近くになるだろうか…正確な年も忘れてしまった

ただ命日だけは私の誕生日と同日なので忘れることはないけれど…

入院中 姪にあたる若い女の子が病室に持ってきてくれたのは この玩具だった

釣りが大好きだった父親にとっては 心温まるシャレたプレゼントだと思う

初めの検査で「手遅れ」との診断だったから 再び釣りに出かけることは叶わぬ願いだったが

この人形 ソーラーパネルがついているおかげで 20年後の今でもコクコクと首を振りながら 釣りを愉しんでいる

夕方やライトの光程度では光量不足のためか「あ。死んでら」という時もあるのだが 私は父親の遺品として持ち帰った物はこれだけ

 

  …  生きている  死んでいる

 

解剖学者養老孟子氏の「死者は最も正直な人間 『死体』と呼びたくない」という

 

それと量子コンピューターの例えとして 回転するコインをイメージしている 指で先端を立てたままピン! とはじくとコインは回転する 回転するコインは「表でもないし裏でもない」または「表でもあり裏でもある」…0と1が共存した状態 これが量子コンピューターの原理である

 

表には「生」と記されている 裏には「死」と記されている

 

何故か私は 生死あるもの全ては 回転状態のコインなのではないか?と思い始めた

 

コイントスで宙に放り 手の甲で受け止め「表か裏かを確かめる」という生き方や死に方もあるかもしれない …いいや こう考えた方がマトモだろうと思う けれど どうしてだろう 今の私はそう感じない

 

大江健三郎の小説の中の一節「生者のあらんかぎり死者は生きん」という言葉もからみついてきて 

コックリ コックリ首を前後に振りながら 笑顔で釣りを愉しんでいる 父親も 生きているとも言えるし 死んでいるとも言える

 

死とはパタンと倒れ コインがその文字を示すことではなくて

回転を止め 立ちつづけることではないだろうかと想像し

 

今 私というコインも 生と死の両面を持ちながら回転し続けているに過ぎない気がしてならない

 

kei