kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

私の「般若心経」

現在の世界人口は80億人を超えた だが生は様々である 戦争・紛争地域もあり命のやり取りをしている人々 明日の食料もおぼつかない人々 あり余る財力のせいで子孫がドラッグに溺れ悩んでいる親 これらを統べて80億人という「抽象的な数」に読み替えている そしてそれらは皆「人間」という「抽象的な概念」で一括りにされる

でも 末期の坂本龍一のピアノを聞いて感じ取った 「死ぬときは一人」 

一人の音 一人の生と死 音が染み透り やっぱり涙が落ちた

「80億」そして「人間」という言葉は「抽象的」といえ デジタルかアナログかといえばデジタルに分類されるのが「言語本来の役目」なのだと改めて知る

私がこうして使っている言葉は「デジタル」である  芸術は「アナログ」

 

して…般若心経は。前回の記事で「経でもないし 概念ですらない」と書いた

まして「仏教」という宗教でもない 奇妙奇天烈なタダの「言葉と音」

先週 10歳ほど下の友人2人に誘われて居酒屋に行った 退職と還暦祝いらしく「赤いちゃんちゃんこは?」と冗談を言われながら お互いまぁ自分なりに生きていることに乾杯した 私は1杯目だけ酒を飲んだ(飲み続けると直ぐに潰れるので)銘々好き勝手なことを話した ChatGPTの話なども出てきた 盛り上がると一人の友人が宗教 とくに「仏教ってのは…」と 大きな声で話していると 突然40歳台の眼鏡をかけた男が割り込み座り込んで話を聞き始めた 私ともう一人の友人は「まぁ。声もデカかったし、話題が話題だけに あるわなぁ…」と苦笑い

その男は仏教の話をハイボール片手に聞きながら 時折 ウンとかスンとか答えていた

なんでこんな見ず知らずの3人の話を熱心に聞くのか 疑問だったので「ご職業は?」と友人は訪ねた 当初は濁していたが 途中から「坊主です」という答えが返ってきた 聞けば浄土真宗 即ち「親鸞」を開祖とした仏教 本山は京都「東本願寺」なので大谷派

本願寺を「クソ本願寺」と酔いに任せてか 言い切ったところが私たちとおんなじだ と笑い合った メインの会話は専ら 仏教話を切り出した友人だったが「専門職」であることに圧されてか徐々に形勢が逆転された感じが見て取れたので 私は会話に割り込まざるを得なかった なので「なぜ対象が死んだ時に『般若心経』を唱えるんですかね? あの経は生きている者にむかって云ってるんだと思うんだけど…」と尋ねた

すると坊様は浄土真宗の階級話を踏まえながら最下位は「『ナントカ』と呼ぶ俗物」であり 最上位は「仏(「ブツ」と呼称していた)」=如来 そして如来になる寸前の位を「菩薩」というくらいは知っていたので そんな話もしたが 親鸞と言えば「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや(善人が往生できるのだから、悪をなし自ら苦しんだ者が往生しない道理はない という感じの意)」と言った人なので その坊様の発想も「俗物と仏は表裏一体」という考えが垣間見えた気がした そして般若心経は「菩薩の経」と一言で表現した どうやら浄土真宗にとっては 般若心経は「中途半端な経の一つ」なのだろうなぁ。と感じ取った 人それぞれなのでそれはいい…

 

私にとって「般若心経」は特別だったので ここが分岐点となった

般若心経は現代物理学と似ていると思った。

後でわかったことだが アインシュタイン 原爆の父オッペンハイマー ニールス・ボーアを筆頭とした「量子力学」の推進者達は「仏教」の特殊性に注目し始め キリスト教にもイスラム教にもそれは無く、仏教 即ち般若心経で語られる「色即是空」「空即是色」という背理的論理そのものが「量子力学」にも通じていると 騒ぎ始めた

私にとって般若心経は 宗教でもなく 概念でもなく 科学の一片であり 言葉そのものだった

 

長いがやっぱり載せないと…

 

般若心経 三蔵法師玄奘訳)

 

かんじざいぼさつ
観自在菩薩             観音菩薩が)

ぎょうじんはんにゃはらみったじ
行深般若波羅蜜多時     (深遠な知恵を完成するための実践をされている時)

しょうけんごうんかいくう
照見五蘊皆空           (人間の心身を構成している五つの要素がいずれも本質的なものではないと見極めて)

どいっさいくやく
度一切苦厄             (すべての苦しみを取り除かれたのである)

しゃりし
舎利子                 (そして舎利子に向かい 次のように述べた。舎利子よ)

しきふいくう
色不異空               (形あるものは実体がないことと同じことであり)

くうふいしき
空不異色        (実体がないからこそ一時的な形あるものとして存在するのである。)

しきそくぜくう
色即是空               (したがって 形あるものはそのままで実体なきものであり)

くうそくぜしき
空即是色               (実体がないことがそのまま形あるものとなっているのだ。)

じゅそうぎょうしき
受想行識               (残りの 心の四つの働きの場合も)

やくぶにょぜ
亦復如是               (まったく同じことなのである。)

しゃりし
舎利子                 (舎利子よ)

ぜしょほうくうそう
是諸法空想  (この世の中のあらゆる存在や現象には実体がない という性質があるから)

ふしょうふめつ
不生不滅               (もともと 生じたということもなく 滅したということもなく)

ふくふじょう
不垢不浄               (よごれたものでもなく 浄らかなものでもなく)

ふぞうふげん
不増不減               (増えることもなく 減ることもないのである。)

ぜこくうちゅうむしき
是故空中無色           (したがって 実体がないということの中には 形あるものはなく)

むじゅそうぎょうしき
無受想行識             (感覚も念想も意志も知識もないし)

むげんにびぜつしんに
無限耳鼻舌身意        (眼・耳・鼻・舌・身体・心といった感覚器官もないし)

むしきしょうこうみそくほう
無色声香味触法     (形・音・香・味・触覚・心の対象といったそれぞれの器官に対する対象もないし)

むげんかいないしむいしきかい
無限界乃至無意識界  (それらを受けとめる 眼識から意識までのあらゆる分野もないのである。)

むむみょう
無無明                 (さらに 悟りも無知もないし)

やくむむみょうじん
亦無無明尽             (無知がなくなることもない)

ないしむろうし
乃至無老死             (ということからはじまって ついには老と死もなく)

やくむろうしじん
亦無老死尽             (老と死がなくなることもないことになる。)

むくしゅうめつどう
無苦集滅道   (苦しみも その原因も それをなくすことも そしてその方法もない。)

むちやくむとく
無知亦無得             (知ることもなければ 得ることもない。)

いむしょとくこ
以無所得故             (かくて 得ることもないのだから)

ぼだいさった
菩提薩垂               (悟りを求めている者は)

えはんにゃはらみった
般若波羅蜜多         (知恵の完成に住する。)

こしんむけいげ
故心無圭礙             (かくて心には何のさまたげもなく)

むけいげこむうくふ
無圭礙故無有恐怖       (さまたげがないから恐れなく)

おんりいっさいてんどうむそう
遠離一切転倒夢想       (あらゆる誤った考え方から遠く離れ)

くきょうねはん
究境涅槃               (永遠にしずかな境地に安住する。)

さんぜしょぶつ
三世諸仏               (過去・現在・未来にわたる”正しく目覚めたものたち”は)

えはんにゃはらみつたこ
般若波羅蜜多故       (知恵を完成することによっているので)

とくあのくたらさんみゃくさんぼだい
得阿耨多羅三藐三菩提   (この上なき悟りを得るのである。)

こち
故知                   (したがって)

はんにゃはらみった
般若波羅蜜多           (知恵の完成こそが)

ぜだいじんしゅ
是大神呪               (偉大な真言であり)

ぜだいみょうしゅ
是大明呪               (悟りのための真言であり)

ぜむじょうしゅ
是無上呪               (この上なき真言であり)

ぜむとうどうしゅ
是無等等呪             (比較するものがない真言なのである。)

のうじょいっさいく
能除一切苦             (これこそが あらゆる苦しみを除き)

しんじつふこ
真実不虚               (真実そのものであって虚妄ではないのである。)

こせつはんにゃはらみつたしゅ
故説般若波羅蜜多呪     (そこで最後に 知恵の完成の真言を述べよう。)

そくせつしゅわつ
即説呪曰               (すなわち次のような真言である。)

※以下の4行は「意味を考えず(意味は無く) ただ声に出せと伝えられる「真言」)

ぎゃていぎゃていはらぎゃてい
羯帝羯帝波羅羯帝         (往き往きて、彼岸に往き、)

はらそうぎゃてい
波羅僧羯帝             (完全に彼岸に到達した者こそ)

ぼうじ
菩提                   (悟りそのものである。)

そわか
僧莎訶                 (めでたし。)

 


般若心経               (知恵の完成についてのもっとも肝要なものを説ける経典。)

 

…「空と不と無」に満ちた ゴーダマ・シッダールタのこれらの言葉は 多分 仏教などと呼べるような宗教ではない気がする マトモに考えれば考えるほどよくわからなくなっていくのは「量子力学」とよく似ている これを2500年前 言葉に変えることができたのがビックリ。 私はこれを理解するのではなく 感じとりたいと思う

そのようなアプローチでしか近づけない代物だと知っているので…


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