kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「死者の肖像権」

以前友人の親友が地下鉄電車に飛び込み自殺した時 友人は止まった電車の線路に降り  頭部を見つけ それを抱えながら他の部位を探し回っている時 主に若者から「パシャ!」とフラッシュがたかれ 多くの写メを撮られた件を書いたと思います

五体バラバラになったその人の肖像権はありません

「死者」には肖像権が無いのです

にもかかわず ウクライナとロシアの戦争において 塹壕の中で死んだ兵士 爆死して体を引き裂かれた兵士 ともかく死んだ兵士をYoutube等動画サイトでは 直接映し出すことは無く モザイクがかけられています

 

これは何故でしょう?

 

死んだ兵士をそのまま映さぬことが「見る人にショックを与えないという点で妥当」

ということでしょうか? でもその映像こそがリアルであり 死んだ兵士にも肖像権はないはず

 

「リアルを敢えて避けるモラル」とはなんでしょうか?…

 

昭和時代では特に問題がなかったアニメのヌードシーン 令和の現代では「女性の乳首を表現するのは禁止」だそうで 放送コードに引っかかるとか… なんだかよくわかりません

美味しい牛肉 美味しい豚肉 美味しい鶏肉  これら牛 豚 鶏の生と死の境界 いわば「屠殺」される瞬間をネットやTVで流すことも 何か憚れるのでしょうか

「うちの子が牛が屠殺される動画を観て 牛肉を食べられなくなった」とクレームがくるからでしょうか…  なら食べなければいいと私は思います

牛も豚も鶏も私たちと同じ生物で 生存欲求も変わりはありません

 

新古典主義の旗手 アングル作「泉」

美術史を学ぶ上で 高校の教科書ではこの絵が載ってるかもしれません

現代ではこの絵の乳首もモザイクをかけるべきでしょうか…

「芸術」と「エロ」の境界線など無いことは 古今東西の作家が証明しています

 

……と これらのことを ダラダラ書き連ねたのは

「人はバイアスに満ちていて 社会のバイアスの総数・総量がどちらかに傾けばそうなる」ということだとおもいます

牛≠牛肉 死者=死体という人間でない存在 といったように思い込んでいるだけではないでしょうか…

 

kei