kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「願いと方法論」

前回の「外国から見た日本」の記事は前々回と内容的にカブっていたが

いつか授業にでも使いたいと思い 載せた

別に美術の時間に美術の授業をする必要はない というかこれはあまり効果がない事を私はイヤという程実感している 29年沖縄で務めた「特別支援学校」 自閉スペクトラム症候群の人々を担当した その特徴と特異的と呼べる行動も 人それぞれがそれぞれである様に異なっていた …当たり前の話

若い頃は「特異的行動」について色々悩み 試行錯誤を繰り返した

「異食行動」クレヨンを食べ尽くしてしまう

「突然の他害行動」静かに笑っていた様子が0.5秒で豹変し 2本の指を立てて こちらの両目を突然潰そうとする

「ある場所から全く動かない」「ある曲を聴いたり ある食べ物が出てくると大混乱を起こす」様々なケースがあり 書けばキリがない

丁度務めて15年以上経った頃 ボンヤリだが「特異的行動」に注視し 直接的に何とかしよとするのは「むしろ下手な手」だと考えるようになった 外部から見て奇異な行動も当人にとっては理由がある それが何なのか当てることは私の能力では不可能だった

だが 別の事柄で当人と「別の回路(繋がり)」が生まれれば 知らない内に特異的行動が消えてしまうことがよくあった

「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」 名言である 

自閉スペクトラム症候群の人々に限らず 多くの人に通じることだと私は思う

 

前回のハラリ氏の言葉も そんなことを考えながら視聴していた

「残虐な命の奪い合い 戦争」という主問題に固執しては おそらく問題は解決しない

ハラリ氏は言う

「いつか世界で戦争のない社会がやってくる」

これが彼自身の見解であり願いなのだ そして氏は「願いを実現するためにはどうすればいいのか 複雑に絡み合った糸をほぐすように 根気強く諦めず進め」と言っているのだろう

まず「願い」を持つこと そしてそれを達成するために様々なアプローチを試みることが必要だろう

 

私は高校生に「日本の美しさや良さ」を知ってもらいたい

同時に 単に「平和」をボンヤリ願うだけの人になってほしくない

 

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