表題は実存主義哲学者J.Pサルトルの言葉で「人間には以上の3つのことしかない」と言っている
ハラリ氏のハマス・イスラエル問題の話を3度観て 未だ考えてる
イスラエルとパレスチナは過去から殺し合いを繰り返してきた 我が子をバスの自爆テロで殺された父親のドキュメントを観たことがあったが「復讐心が抑えられず」今にもパレスチナの人々を機関銃で撃ち殺したがったが そうしてしまうと「憎しみと殺し合いの連鎖」しか起こらないことも知っているので苦しんでいた
人間同士の喧嘩と同じ 殴られたら殴り返す 出来れば強い助っ人が自分の味方になってくれたらと考え 普段から助っ人と繋がりを作る しかし相手も助っ人を連れてくる そうして集団の喧嘩となり どちらかの陣営が打ちのめされるまで止まらない
イスラエルの歴史は紀元前に遡り 様々な紆余曲折と困難があった エルサレムは3つの宗教の聖地であり そのため「戦で血塗られた国」と呼べるかもしれない
ハラリ氏は言う「過去の恩讐に憑りつかれることは 過去を変えようとすることに似ている」
戦争によって その時勝ち負けがついても 恩讐は残り続け また戦いが始まる
なので本当に平和を求めるなら 互いに妥協点を見出し「和解するしかない」
苦や憎しみを伴う過去をいくら反芻したところで 平和にもならないし 前にも進めない
では「過去」とは何だ?それは「未来の平和」と繋がるか? と 時間・時代の流れそのものについて考え始めてしまった 「過去の記憶」はすごく大切なモノなんだろうか?よくわからなくなってきた
だからサルトルの言葉が頭に浮かんだ
サルトルの言う「在る」は重い
サルトルは時系列を超えて 自己が存在することに意味を置いている
持つ 沢山の金を持つ
かように 人は持つことと為すことに執着しがちだが
それよりも「在る」ことの方が「全ての基盤」という意味で重要だと思う
戦争にしろ 侵攻にしろ テロにしろ
「在る」を忘れ 持つと為すことに囚われた呪われた人格
という気もしなくもない
kei