kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「混沌」と名付けようが「自由」と名付けようが…

人それぞれ2つの言葉の理解は違う 私自身にとっては「大して変わらない」

教職員を育成し 免許を取らせる大学でも 近年は教師にならない卒業生が多くいて困っている と電話で担当先生から聞いた さもありなん…

私は免許を持たぬ小学校以外 中学校・高校・支援学校を教えた 結論はシンプル「どれもみんな同じ」

何が同じなのかと言われれば 一瞬言葉に詰まるけれど 敢えて今考えるなら ①将来に対する不安 ②現状に不満を持っている場合は その原因を「自分以外の何か」に求めること ほかにもありそうだが…分析しても埒もない

①②が大体似てりゃ 相手が12歳だろうが 22歳だろが「ほぼ同じ」である

それとも 小学校の卒業文集で「将来の私」とか まだ書かせてんのかい? いい加減にしてくれよ。 書くことないから「公務員は人気ないらしいから とりあえず「パティシエ」」と小学校の男の事と女の子は書くそうで 1番人気は「パティシエ」

小麦粉の値段がいくらするか 作った菓子の原価率がどれほど高いのか その日余った分の菓子を捨てることが店にどれ程のダメージを与えるのかなど知ってるかな?今は軒並み「いいパン屋が潰れている」

「とりあえず書いた夢」など 「?」の方がまだマシというものだが 時代錯誤の小学校ではいまだにセッセとやっていることだろう 残酷だの。

で…高校生も大学卒業生も大して変わらない。という話

それを大雑把に「混沌状態」と呼んでもいいだろう

たしかに物事なんでも始めるにあたっては「混沌だらけ」だが その混沌の中に「望み」「願い」といったエッセンスがどれくらい混ざっているのかは大切かと思う

でなければ「とりあえず」 とりあえ学習ずし とりあえず就職し とりあえず恋をし…人生そのものが「非正規雇用」みたいな感じ 

 

「とりあえず生きてみる」 これが現代の若年層の本音かも

でも これを「自由」とも呼ぶわけで 美術の課題の中で「最も嫌われる」のが「自由課題」であることを思えば 自由と混沌はほぼ同義 なのでは?と思ったりする

 

人間だれしも同じじゃない 生育も環境も違う

だがら 自由と言おうが混沌と言おうが受け取り方も違う

同じ日本語を話しているのに バベルの塔崩壊直後のように「言葉が通じ合わない同士になってしまったのが現代」だとすれば

カオス(混沌)の中にその人なりのロゴス(秩序)を1つづつ積み上げていくしかないだろうし 積み上げていくその間 ガラガラと崩れることも当然としてあることを承知しておかなければ

かく言う私も「99%カオスで ロゴスは1%」ってところだと思う

 

さてね。 若者はどっちの未来を望むのか…

 

kei