kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

アリス・リデル ‐闇の中の影‐

2021年08月07日前ブログにて

アリス・プレザンス・リデル(Alice Pleasance Liddell、1852年5月4日 - 1934年11月16日)は、少女時代にルイス・キャロルの児童小説『不思議の国のアリス』(1865年)および『鏡の国のアリス』(1871年)の成立に関わったイギリスの女性で、一般に両作品の主人公アリスのモデルとされている人物。ルイス・キャロルと親交があった女の子はアリス以外に姉と妹がいたので、アリスは次女だった。

これはペンネーム「ルイス・キャロル」こと数学者チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンがアリス7歳の時に撮影した写真。wikiでは以下のように書かれている。
不思議の国のアリス』の物語は1862年アイシス川(テムズ川)をゴッドストウへさかのぼるピクニックの際に、特にお気に入りの子供であった当時10歳のアリスのために、キャロルが即興で作って聞かせた話が元になっている。この物語が気に入ったアリスが書き留めておいてくれるようキャロルにせがんだため、キャロルは内容を膨らませながら『地下の国のアリス』というタイトルの手書きの本を作って1864年にアリスにプレゼントした。知人の勧めでこの物語をさらに加筆修正し、1865年に出版されたものが『不思議の国のアリス』である。

ここからは私のうろ覚えの知識で書こう。間違いがあると思うが「日記」の一つだとご理解いただきたい。
ロリータ・コンプレックス」とは、幼女・少女を好きになる男を指すのではなく、たしかそれに加えて「性的興奮を覚えるかどうか」だと、どこかで読んだ気がする。

ルイス・キャロルロリコンであったか?

物語を思い出してみると、面白い箇所がいくつかある。
「花弁」について「蕾(だか花弁だか)がもう少し開いていれば」といった性的とも取れる下りがあったりする。けれどその対象が聞き手のアリス・リデルであったかどうかはわからない。
アリスは嬉々としてキャロルの破天荒な即興物語に聞き入ったことだろう。
なにかを食べて大きくなったり、小さくなったり・・・大きくなって大泣きし、小さくなって自分の涙で溺れる下りは彼女の笑い声が聞こえそうだ。
もっと大きな声で笑っただろうと思われる場面はハートの女王が「首を刎ねよ!」と叫んだシーンじゃなかっただろうか。その言葉には「子どもの好奇心を強く駆り立てる残酷さ」があるからだと思う。
三月ウサギやら帽子屋やらハンプティダンプティやら、そして特別な存在と思われる「チェシャ猫」興味深いキャラも出てくるが、それはいつかの話として、物語はアリスの「あなたたちなんて高々一組のトランプじゃないの!」という、至極”現実的”な認知と裁きによって閉じられる。私には見事な結びと感じられる。そして、それを理解していたルイス・キャロルはアリス・リデルに恋をしていながらもプラトニックなものであっただろうと察する。

前回の記事では少し「スティーブ・ジョブズ最後のプレゼンテーシ」のことに触れたが、漫画家手塚治虫も同様であったと思われる。ふっくらした体、丸い顔は面影なく、やせ細り余命が短いことを誰が見てもわかる中、彼は母校の小学校で講演を行う。アトムやブラックジャックをニコニコしながら描いて、楽しい話をし、ジョブズ同様に「夢を語り」そして終える。これが手塚治虫最後のプレゼンテーション。

ルイス・キャロルスティーブ・ジョブズ手塚治虫三者には共通点があるような気がする。

それは「子どものような残酷さ」を持っていたことであり、それを明確に自覚していたこと。

光が当たると自分の影が生じる。では闇の中では影は無いのか?いや。見えないだけだと思う。
光があろうがなかろうか、人には固有の「影」と呼ばれる暗部がある。

スティーブ・ジョブズで言えば、iphone開発の号令がそうだった。いきなり完成製品を思いつき、社員に「コレを作れ」と指示を出した。しかし技術者達は「そんなに小さいのにあなたが言う機能を盛り込むのは不可能だ。」と口をそろえて言ったが、ジョブズは何の根拠もないのに「できる。作れ。」と言った。まるで駄々をこねている子どもの理屈だが、軽量・小型化するために山ほどの努力と技術革新を積み上げ製品は完成した。ジョブズにとってイメージできたらそれは完成したのと同じだった。

手塚治虫の場合は漫画の中で数えきれぬほど首を刎ねるシーンを描いている。それはハートの女王の実行図だ。切られた首の切り口は概ね「ちくわ」のような絵柄だったが、劇画だったら陰惨な図となっていただろう。だが、手塚にとっては劇画・漫画など分野は関係ない。長年にわたり罪なき人の首を刎ね続け、殺し続けたことに反動が来ないわけがなく、その度に自分の影の罪深いほどの濃さを感じたことだろう。作家とはそういうものだ。

だからなのか、ジョブズも手塚も美しいプレゼンテーシを残し、自分の影と同化し、潔くこの世から消えた。

数学の能力が非常に高いと言われ、数学に関する書も遺しているルイス・キャロル。中学校だかの数学の授業ではブツブツ小声を言いながら、黒板に向かって、ただ式をゴチャゴチャ書いているだけの全く冴えない教師だったという。
そんな男が少女に恋をすることで、世界中の少女のみならず、世界中の作家を魅了し、驚嘆に値する作品を作り上げた。そこには光も影もなく・・・

光不異影   影不異光

と呼べるものであったと思う。

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