kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

マキャベリ「君主論」

wikiより概ね引用

本書で、政治自体を宗教や道徳から分離した政治力学を提起した。だが一般的にマキャヴェッリの思想は冷酷・非道な政治を肯定するものと考えられ、後世マキャヴェリズムとみなされ、長年マキャヴェッリは、道義や倫理を無視した冷酷な権力論を説いたと考えられてきたが、客観的・近代的な政治学の始祖と考えられるようになった。

 

だから 世界中でどこかの経営者が 社長・会長が 国家元首がこの本を枕の横に置いて眠っている それは「現代 たった今のこと」であり 多くの権力を持つ者達にとって この本は「聖書」なのだと思う 

 

印象に残った部分を抜粋する

君主の気質

マキャヴェッリは理想国家における倫理的な生活態度にこだわり、現実政治の実態を見落とすことが破滅をもたらすことを強く批判しており、万事にわたって善行を行いたがることの不利益を指摘する。

君主は自身を守るために善行ではない態度も取る必要がある。あらゆる君主はその気質が評価されるが、一人の君主があらゆる道徳的な評判を勝ち得ることは原理的に不可能なので、自分の国家に損失を招くような重大な悪評のみを退けることになる。しかしながら、自国の存続のために悪評が立つならばその払拭にこだわらなくてもよい。全般的に考察すると、美徳であっても破滅に通じることがあり、逆に悪徳であっても安全と繁栄がもたらされることが、しばしばあるからである。

このような気質の中で、気前が良い、あるいはけちだと思われることについて考察する。一般的に気前の良さを発揮することは害悪である。一部の人々のために大きな出費がかさむため、重税を課さざるを得なくなり、その他の大勢の領民に憎まれるだけでなく、そのような出費を止めようとすると逆にけちだという悪評が立つことになる。それよりも、多くの人々の財産を取り上げないことが重要である。つまり、けちと言われることについて君主は全く問題視すべきではなく、けちであることは支配者にとって許容されるべき悪徳の一つである。

また、君主の気質として残酷さと憐れみ深さについて考慮すると、憐れみ深い評判の方が好ましいことは自明である。しかしマキャヴェッリは注意を促しており、君主は臣民に忠誠を守らせるためには残酷であると評価されることを気にしてはならないと論じている。憐れみ深い政策によって結果的に無政府状態を許す君主よりも、残酷な手段によってでも安定的な統治を成功させることが重視されるべきである。

原則的には君主は信じすぎず、疑いすぎず、均衡した思慮と人間性を以って統治を行わなければならない。しかし愛される君主と恐れられる君主を比較するならば、「愛されるより恐れられるほうがはるかに安全である」と考えられる。なぜなら人間とは利己的で偽善的なものであり、従順であっても利益がなくなれば反逆する。一方で、君主を恐れる人々にはそのようなことはない。

 

マキャベリは様々な歴史的事例を通じ「人間」をこのように理解していた

それは中国だろうと ロシアだろうと アメリカだろうと 日本だろうと一律同様ということになるのだろう

 

ただ この書をマキャベリが書き上げ 出版され 多くの人間に読まれたことに 私は大きな意義があると思う

これは彼にとって 「問い」であり 民衆への「種明かし」だと思うからだ

kei