kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「現代人の煩悩の数は1080」

2020年05月02日 季節から全くズレた記事改訂

12月31日大晦日の夜 寺の鐘は108回鳴らされる。
なぜ108回かと言えば人の中に在る「煩悩=心身にまといつき心をかきみだす、一切の妄念・欲望。」を1つずつ消し去るためである。

奈良時代 平安時代 鎌倉時代・・・1000年以前の人の生き方を想像するとき、併せて煩悩の数を考えてみる。それは108つ程あったのだろう。
それから1000年余り経ち 「人」はどう変わっていったのか。
経済成長 第三次産業の発達 資本主義 なんて綺麗ごとじゃなく「要は金とか権力とか能力とか『力』を持てば勝ち?」
そりゃ江戸時代だってそうだっただろうが、煩悩の数は同じじゃない。数として捉えるのが不自然なら「一つ一つの煩悩の大きさかも知れない。」まぁ総量としては同義なので「数」として捉えることにしよう。

現代の日本人の煩悩は1080あって、それを全て消し去るためには1080回鐘を打たなきゃならない。

と…今の私は考えるのだ。理由はとてもシンプルで 今までたどってきた歴史が 煩悩を減らし、消し去るための道ではなく、逆の道「煩悩を指数関数的に増やす道」を辿ってきたからだ。
これをある人は「無神論」と呼び 「拝金主義」「権力主義」と呼ぶのかもしれないが、主義云々よりも膨大に増えすぎた煩悩こそが教えそのものであり
「煩悩教」という宗教の信者かも知れぬ。

今から80年程前 世界大戦時 市民は「生き残ること 家族を守ること」しか考えなかった。
それは煩悩とは縁遠いものだ。それから戦争は終わり 今を迎えている。ということは80年の間に 煩悩が1080個にいつの間にか増えたということだろう。

ウィルスの蔓延はパニックを引き起こす という点では戦争と共通点が無くもない。
相違点こそ山ほどあるが その一つに「煩悩の異常な数の多さ」があると私は思う
煩悩多き者がウイルス禍と対峙している。 それが今…
私はこうしてブログに文字をタイピングしながら そうする目的はいかにも自分勝手だったことに気づく

自らの煩悩を一つずつ消し去りたかった。

眼を閉じて 頭の中であの鐘の音を聴く

kei