kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

再び次元について「言葉は何次元か?」

2021年01月19日 転載 そのため総理大臣は「菅」氏になっているが そのまま載せる

 

話し言葉は「音」の一つであるので空気振動によって伝わるので「三次元」ということになる
二次元世界には「音は存在しない」
では「言葉」という抽象的なモノ もしくはデータ についてはどうだろう・・・

 

別な観点で論じると「彫刻」と「絵画」の違いは何か? と似ているかも知れない
彫刻は「立体」で絵画は「平面」という解釈はやや甘い 高校生ならそう答えそうだが
深く考えると 彫刻は「存在」 絵画は「非存在(幻影)」と言うことが出来る
方や三次元体 もう一方は二次元体であるといえ 今流行の「3Dプロジェクションマッピングも三次元体に投影されるが 二次元という幻影にすぎない
それに比べ彫刻や塑像といったものは いかに小さくても いかにグニャグニャでも「存在」しており 逆に絵画はいかにリアルに描かれても どんなに美しくても 非存在であり幻影である
だからこそ 絵画が求めて止まぬものは「存在感」であり 傑作にはそれがある


現代では以下のようなことも現象化している
「コスプレ」は二次元体を三次元化する行為であり 逆に自らを二次元化したい欲求とも言える

では 言葉は? 本や原稿は印刷されているわけだから「二次元」とも言えそうだが
それを言葉で発すると「三次元」になる・・・というのは 物理的な思考だろう

 

実は私は 失礼だが「菅総理」のことを言っているのだ 

下を向き原稿を読むことは 二次元的行為であり それだけで三次元というリアルからかけ離れてしまう この行為をし続けると菅さん。貴方の存在自体がペラペラの紙のようになってしまう
なぜ内閣支持率が下がり続けたのか 私から言えば「三次元性の欠如」であり 存在感のある言葉を発していないからに他ならない
存在感のある言葉はまるで垂直に 三次元方向にこっちに向かってくるようなリアリティがある
所信表明演説でもそれが無かった というのはこの重要な局面においては致命的だと思う


それから これは全く別の事柄として

「言語」を拡張した概念として「データ」があるが
近い未来10年後か数十年後かわからないが これが最も重要かつ高値で取引されるだろうと思う
データには形も無い 重さも無い 雲より軽く不定形にも見えるこの代物が
資本主義だろうが社会主義だろうが「最も価値の高いモノ」となっていく
奇妙な話だが そうなのだ 
第三次世界大戦が起こるというのなら話は別で やはり「現物」が一番大切となるのだろうが 
世界の今の文化の延長線を想像すると「無形のモノ」の方が価値が重くなっていく 
 
「金」の時代も いつか終わりが来る

kei