kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「孤独の勉強」

近頃の自分の絵の良く無さの原因について 降って湧いたように解答が下りてきた

「孤独に弱い なので 絵が弱弱しい」

退職したら向き合う必要がある当然の事柄であったし 覚悟もしていたが 体の中には染み透っていなかった… 

 

「何かに熱中すれば 自然と孤独は癒される」 時間的に考えれば是だが 誤りだ。

 

円空

寛永9年〈1632年〉 - 元禄8年7月15日〈1695年8月24日〉) 江戸時代前期の修験僧(廻国僧)・仏師・歌人。特に、各地に「円空仏」と呼ばれる独特の作風を持った木彫りの仏像を残したことで知られる。
円空は一説に生涯に約12万体の仏像を彫ったと推定され、現在までに約5,300体以上の像が発見されている。円空仏は全国に所在し、北は北海道・青森県、南は三重県奈良県までおよぶ。

ドキュメントで北海道で暮らした洞窟を見た。 とんでもなく険しい山の頂付近 現在では登るために足掛けのついた鎖が設置されているが 足を踏み外せば死 直立した崖と呼べるほどの急俊だ そこで蝋燭の火を頼りに仏像を彫った 常軌を逸している。

円空は 密教の僧としていくつかの義務を自分に課した

①仏像を彫ること

②諸国を経めぐること

③最期は自ら土中に入り 読経しながら命を終えること 

何と厳しい義務だろう 円空は12万体という仏像を彫り上げ 座したままミイラとなった

「木っ端仏」とバカにされ かまどの焚き付けに使われてしまった仏も数限りないが 円空の仏は「自然と分かち難い仏そのもの」に 私には映る

作りおく 此福(このさいわい)の神なれや 深山の奥の 草木までもや〔七〇三〕

歌人円空は詠っている だから彼は彫刻したのではない 「草木」が神なのだ と伝えているに過ぎない

 

円空は 仏を彫ることで孤独を癒したか?

 

多分違うのだと思う 彼は「孤独であり全く孤独でもなかった」

「孤独」という感覚自体がなかったんだと思う

でなければ こんな仏を彫れるわけがない

 

再び「円空」を見上げ 孤独について勉強したいと思う

 

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