kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「正常」「健常」という言葉の危うさ

以降の文章は私の経験と読んだものの色々をごちゃ混ぜにして 勝手に「そう思っている」に過ぎない。ということを前提としていただきたい。

 

兄からLINEがあり そちらの方面の病院に行ったのか「ADHAと診断された」とあった 64歳にして初めて解った「障害?」ということになる 私は「そう…」とただ口にしただけで 心中「反りが合わなかったのはこのせいだったのかも」と思った

仕事上何百人という数のADHDと診断を受けた生徒には接しているし「7人に1人は何らかの精神的障害を有している」という ある学者の説に 私も同意する もしかしたら7人に2人かも知れぬ

しかし ここで「障害」disability。 abilityにdisをつけていることに疑問が生じる 広義に捉えれば「精神的偏向」もしくは「行動的特性」さらに広く というのならA B O血液型性格占いよりも 正確な「その人の特徴」でしかないことが多い それは遺伝子レベルでも今は分かりつつあり M何とかという配列の酵素を遺伝子が持っていると「攻撃的特性」が強い ということが証明されている 私たちの遺伝子は一卵性双生児以外は同一ではなく その点で「同じ人は誰もいない」ことになる

ADHDにしても ちゃんと座れるが目がキョロキョロ動きやすい という特徴だけでも そう診断される一例になるのではないかと思う

因みに私は「鬱傾向」を持っているだろうと自覚している 突然虚しくなることがあるし 自殺した母方の叔父とよく似ている と 母に言われた これを「傾向」と呼ぶか「病気」と呼ぶか 「障害」と呼ぶかは 実際怪しいところだと思う

 

ただ「保菌」と「発症」 の違いはあるだろう

 

人は「セーフティのついた拳銃」だとして 保菌は「セーフティが懸かっている状態」 発症は「外された状態」で トリガーを引けば発砲する

「あるきっかけで ある変化で 自分でも知らぬ間に自分のセーフティが外れている状態の時もある」

そうなると「常ならざる行動」が起きる可能性がある…と思っている

アインシュタインアスペルガー症候群だったと以前書いたが 彼は広島に原爆が投下された時 悲痛な表情だった 当該症候群は「自閉症スペクトラム」に属するものあってみれば 「他者の気持ちはわかりにくい」はずなのに。 このことからもわかるように 人の精神はONとOFFのスイッチのようなものでなく「スペクトラム」と示されているように濃淡の違いが有るだけで 何より 彼を特殊・一般性相対性理論に導いたのはアスペルガーという「探求・追及型特性」があったから と推理するなら これはもう「障害」とは呼べるものではない 

かように 人は千差万別で 宗教が別であろうが 民族が同一であろうが 親兄弟であろうが「異なる精神的指向性」をもっている

そこに「正常」「当り前」「常識」さらには「健常」という 「異常な言葉」を事も無げに使う人こそ私は危ういと感じる

他者を「こんな人だ あんな人だ 少し自閉が入っている」と言っている  ご当人のアンタこそ「健常」だと証明できるかい? と尋ねたくなる

人はコンピューターじゃない 本当にコンピューターとは別物なのだ

コンピューターに似せた「合理性」「妥当性」を振り上げる時 注意しなけばならない

私にとってみれば 精神面においては「障害者」も「健常者」ごちゃ混ぜの灰色

ただ 「障害者手帳」という形で支援を受けているかどうかの違いしかない

昨今の様々なゴシップを振り返っても 「常識」というフィルターを通しているようだが これほど胡散臭いフィルターは無い

「やまゆり園」で障害者を殺しまくった植松聖。

自分が精神障害者かも知れぬと思わなかったのかな? そこが分れ目ってヤツだ

 

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