kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「レオナルド・ダ・ヴィンチは死の3年前 なぜフランスに移り住んだのか」

レオナルド・ダ・ヴィンチ(伊: Leonardo da Vinci、イタリア語発音: [leoˈnardo da ˈvintʃi it-Leonardo di ser Piero da Vinci.ogg )1452年4月15日 - 1519年5月2日(ユリウス暦))は、フィレンツェ共和国(現在のイタリア)のルネサンス期を代表する芸術家。フルネームは、レオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ(Leonardo di ser Piero da Vinci)。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、芸術家、画家、博学者、科学者、占星術師、鏡文字、音楽、建築、料理、美学、数学、幾何学会計学、生理学、組織学、解剖学、美術解剖学、人体解剖学、動物解剖学、植物解剖学、博物学、動物学、植物学、鉱物学、天文学、気象学、地質学、地理学、物理学、化学、光学、力学、工学、流体力学水理学、空気力学、飛行力学、飛行機の安定、航空力学、航空工学、自動車工学、材料工学、土木工学、軍事工学、潜水服などの分野に顕著な業績と手稿を残したとされる。完全に解明されていない作品もあり、21世紀になっても幻と言われる作品も存在している。

……何でもやりすぎてる。 絵画もそのうちの一つということだろうが 容姿端麗 長身 身のこなしは貴族の如くだったと言われているが 「人間観察」として弟子のサライがレオナルドの財布から金を何度もくすねるところをずっと観察していた「観察魔」でもある

天才にふさわしい人物であったが ヘンなひとでもあった

芸の一つとして こんなデッサン描かれてしまっては…トホホ 自分にガッカリ。

 

モナリザ」という作品はレオナルドにとって「名刺代わり」だったのだと言われている

持って歩けるほどの大きさ そして折を見て手を加えていたことだろう

各地で「こんな風に絵もかけますよ。」と売り込んだ それがルーブル美術館の至宝である

ご存じの通り ルーブル美術館はフランス パリにある

よく考えるとヘンである。彼が活躍したのはイタリアの様々な地であった

だのにモナリザはフランスにある

 

これには理由があって

レオナルドは1516年にフランソワ1世に招かれ、フランソワ1世の居城アンボワーズ城近くのクルーの館が邸宅として与えられた。レオナルドは死去するまでの最晩年の3年間を、弟子のミラノ貴族フランチェスコ・メルツィら、弟子や友人たちとともに過ごした。レオナルドがフランソワ1世から受け取った年金は、死去するまでの合計額で10,000スクードにのぼっている。
レオナルドは1519年5月2日にクルーの館で死去した。フランソワ1世とは緊密な関係を築いたと考えられており、ヴァザーリも自著でレオナルドがフランソワ1世の腕の中で息を引き取ったと記している。

最後の文章は眉唾だが フランソワ1世はレオナルドが来てくれたことに大いに喜び 畏敬の念も半端でなかっただろうと思う

ただし イタリアで最晩年を迎えても 尊敬され厚遇されたはずで 当時としてはローマに比べて「田舎」だったフランスに 敢えて行く必要があったのか?よくわからないところがある 損得勘定だけでない何か… それとも「新しい光景を見るための旅」だったのか… 流浪癖があったのか…

 

比べるべくもない私だが 生き方と死に方だけは「レオナルド」という存在が頭の中に在るのは事実で 明日また名古屋に行き住処を探しに行こうと思う

ただ 「犬は人に付き 猫は家に付く」という諺通り 家人は沖縄から離れたくない表情

 

さて…

 

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