kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「二人称」の意味

2021年02月03日記事

平尾誠二と医師山中伸弥の2人の物語は他にも色々あり付け足したいこともあった。
例えば山中氏は高校時代は柔道を志し 大学3,4,5年はラグビー部に所属した
知り合って間もない頃か どちらかの家庭の庭で 平尾にラグビー少年がパスを教わっていた
途中でパスの受け手は山中に代わり幾度か平尾とパスのやり取りをした
山中は平尾とパスをしながらラグビー少年に向かって子どもの様に言った「今パスをしてる人は誰だと思う?あの平尾誠二なんだよ!」と そして後日譚として平尾は山中に向かって「おっさん。パス下手やなぁ。」と笑った。同年の二人なのに「おっさん」と呼び合える・・・
そしてまた「業務仕分け」によってips研究所の予算が3分の1に減らされた時 平尾の励ましを受けて山中は資金造成のためのフルマラソンに参加し 募金を募った
そして平尾への弔辞の折 山中は「治療することができず元気にできなくて ごめんなさい。」と心の底から声を絞った。そして「僕も時が経てば君に会える。」と結んだ。

私は今日これらのことを思い出しながら この2人の特異性は最初から最後まで「二人称」だったのだと思った。おまえ あなた 君 おっさん 何でもいい 二人称の関係で居続けた
そして平尾が致命的な病に罹っていることを知り山中に伝えた時「一緒に頑張りましょう。」と山中は答える。
三人称的医者であれば「頑張ってください。」と言うだろう。 山中のこの言葉に平尾は全幅の信頼と友情を感じた。

以前 我が子を自殺によって失った ドキュメンタリー作家 柳田邦男は息子の死後 息子の臓器提供を息子が生きた証として申し出る。しかし息子の大切な臓器を「物」として扱うような医者達の態度 輸送の悠長さ 彼等の話し方に不満を感じたという その違和感は「患者や死者を三人称と捉えている。」ということにあると柳田は語る。だからこそ「医者」に求められるものは「二人称」としての関わり方であり 対話だと言っている

叔父が昨年亡くなった 奥さんはその1か月前に亡くなり 一人息子は重篤な持病を持っていたため30代で他界した このように夫婦の場合片方が死ぬともう一方も死ぬ というケースは多い
母方の伯父夫婦は一週間以内に2人とも旅立った
先の叔父の場合はいわゆる「孤独死」であったわけだが 私はそうは思わない。 先に逝った息子 そして妻という二人称と呼べる存在がいたからだ。

平尾誠二にしろ山中伸弥にしろ この二人には「二人称」と呼ぶべき相手が沢山いただろうし いるのだろうと思う。 それは幸福なことだ

この「人称」について 例えば未成年者による虐殺事件を考えてみると 殺した相手さえ「三人称」だったのじゃないか・・・と訝しむのだ
オウム真理教の教祖・幹部もまた 外の世界と内側の世界を隔て 外の人間は全て「三人称」であっただろう

養老孟子氏の言葉を3度用いることになるが 「一人称の死は無い」 つまりは自分が産まれた瞬間と同様に自分の死は記憶にも残らず その点に於いて「体験とは言えない」ものなのだと思う。

 

だからこそ「二人称」に深い意味がある

 

不登校」「引きこもり」「おひとり様」と簡単に名付けてしまう それは様相であって 最も重要なことではない その人にとって「二人称」と呼べる相手がいるのかどうか そしてその関係はどのようなのか。が着眼点になるのではないか

相手と話す時 それは誰でもいい「二人称として語れるか?」これが現代日本社会が抱えている問題なのだと感じる 「天気がどうの」「経済がどうの」「仕事がどうの」には二人称を用いる必要はない

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