昨夜のウォーキングの後半あたりから イメージを絞り出そうとしている自分に飽いた
天啓のようにアイディアが降って来るとも思っていないが 描きたくない何かがあるのだろう せき止めている「心的ダム」のようなものは どこにあるのか 貯水量はどれ程かもわからない
「ただ 手だけで描きたくない」 もっと別の衝動を必要としている
そんな風に考えているとデカルトのあの辛気臭い「我考える故に我あり」という言葉が頭の中に沸き上がり
そんじゃ 「俺がな~んにも考えなければ 俺はいないわけだ」と思った
歩きながら 「自分は存在しない」と意識した
こういう精神状態は珍しいモノではないと思う スポーツの国際大会の決勝 例えばオンピックの女子バドミントンでもいい 大谷選手でも マラソンランナーでもいい
デカルトみたいに考えはしない むしろ感覚として「我」なんかどこかに飛んでしまい いわゆる「無我」の状態ではないかと思う
デカルト的西洋哲学に対し 「無我」という東洋的哲学?みたいなものがある
私が惹かれるのは 後者
kei