kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「我考えないゆえに我ナシ」

昨夜のウォーキングの後半あたりから イメージを絞り出そうとしている自分に飽いた

天啓のようにアイディアが降って来るとも思っていないが 描きたくない何かがあるのだろう せき止めている「心的ダム」のようなものは どこにあるのか 貯水量はどれ程かもわからない

「ただ 手だけで描きたくない」 もっと別の衝動を必要としている

 

そんな風に考えているとデカルトのあの辛気臭い「我考える故に我あり」という言葉が頭の中に沸き上がり

そんじゃ 「俺がな~んにも考えなければ 俺はいないわけだ」と思った

歩きながら 「自分は存在しない」と意識した

こういう精神状態は珍しいモノではないと思う スポーツの国際大会の決勝 例えばオンピックの女子バドミントンでもいい 大谷選手でも マラソンランナーでもいい

デカルトみたいに考えはしない むしろ感覚として「我」なんかどこかに飛んでしまい いわゆる「無我」の状態ではないかと思う

 

デカルト的西洋哲学に対し 「無我」という東洋的哲学?みたいなものがある

私が惹かれるのは 後者

 

kei