kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

幸福度

ニュース記事を見ていたら欧米諸国の「幸福度ランキング」は20~30位以内だが日本は51位

記事を書いた人は その理由を「誰とも接しない人が 日本では13%と多く『孤独生活』が起因であり 実際孤独生活をしている人の死亡率は2倍なので 人同士の繋がりに重視すべき」

…と述べていた

半ばわかるようで よくわからない統計とその理由だと思った

幸福度が51位なのは「幸福じゃないと感じている人が少なくない」が理由に決まっている

で その原因についてさらに足を踏み込んで 何か社会政策とかしても急に20位台になるとは思えない

単に「根暗な民族だから」かも知れぬ

「人同士の繋がりを網のようにつくりあげる」という解決方法も 個人によって好嫌は別れるはずだ できていないから5万人もの不登校小・中学生がいて 146万人の「引きこもり」の人がいる これを「人間の繋がりを」などという 甘い理想で解決するわけがない リアリティがない。

 

ここ数回の記事で 私が認知していることは ①「幸福度という漠然とした抽象的な概念を統計化することの疑問」②「主観を持ってしまった人間の業」と ③前の記事でかいた「本当は連続的ではない=不連続的時間の経過を実感していず 過去や未来などという 存在しないモノに固執すること」 これら3つのことが引っかかっている

 

「なぜ時間が存在するのか」以前書いた気がする 宇宙的時間の流れ 感覚的な時間の流れ それと「熱力学第二法則」というエントロピーが関わっているからだが 地球という天体にいるかぎり「万有引力」も 当人には無自覚に働き続けている

これには 王も法王も金持ちも貧乏人もイケメンも美人も自殺志願者も関係ない

「人は 人中心 引いては自我という自分の勝手によって幸福・不幸を感じる」

今日の午前 外に出た

街路樹の枝が職人によって剪定され ドカドカ切られていた

落葉すれば これほど色とりどりの葉になるのに 緑の葉のまま枝ごと道路に落ちていた Googleで調べたが「ポプラ」のような気もするが…ともかく道行く人のために邪魔になるから枝は容赦なく切り落とされる この葉一枚一枚と 人一人一人の命と比べてどうなのか考える

福田赳夫首相は「日本赤軍ハイジャック事件」の時「人の命は地球より重い」と言い 日本人旅客と交換に多くの代償を払った

人の命は地球より重いのか 葉っぱより重いのか 今日屠られ肉にされた牛や豚より重いのか……私にはよくわからない

人が人の命を重要に感じるのは 自分が人間である同類・同調意識にすぎないのではないのか 宇宙?神?世界にしてみれば「実は分け隔てなど無い」のかも知れず

大事業家になろうが 女たらしになろうが 金持ち 貧乏人になろうが 精一杯生きようが 自殺しようが 大きな違いはないのかも知れない…とすら思い始めてきた

乳飲み子でもない限り 人間は命を奪わずにはいられない生物 これが本当の「原罪」

そのような生物に 善行だ 悪行だと言えるものなのか というよりこうして「幸福 不幸 善 悪 愛 神 永遠とか 抽象的でボンヤリした言葉遊びの世界と時間の中で 生きて死ぬだけではないのか」

 

「存在」について考える時 「幸福度」という虚ろな概念は「単なる人間至上主義」を前提とした尺度に見える

 

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