kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「幸福な王子」

スマホで「ハイデガー哲学」にまつわる記事があり 読んだ

例外はあるだろうが… 一応「生まれたての赤子」は「幸福な王子・王女として生を享ける」とのこと この意味は「主に両親から 愛情と愛着を受け 健やかに成長させるために あらゆる手を尽くしてもらえる 王子のような存在」

王子は主観によって育っていく だが気づく 同年代の他の子を見た時 集団の中に放り込まれた時 自分以外の全ての子が王子・王女であると… これが「社会参加の瞬間」だとでも言いたいのだろう さらに続けてハイデガーは云う 自分が特別でないとわかった瞬間から「自分に関わる全ての他者に格付けをし始める」 主観に打算が加わり 父母祖父母等肉親 兄弟姉妹…それから友人 友人の条件はただ1つ「自分に役に立つかどうか」その度合いによって親密度が変わると その頃ほぼ同時に「人は一度生を享けたら死ぬ存在」だとわかる

そこで 哲学者は問う「幸福な王子よ。明日死ぬとなれば、今日をどう生きる?」

ハイデガーのこの問いは私を困らせた

同時にゴーダマ・シッダールタの思想やら ウクライナ・ロシアの戦いなども見て益々混乱した 言葉が止まってしまった…

ハイデガーについては「絶対存在」の考え方はほんのり分かった気がしたが 「幸福な王子」の問題は 特殊な条件下では当てはまらないのではないかと思い始めている 事情がよくわからないまま前線に送られるロシア兵はそうではないかも知れないが 多くのウクライナ兵は自らを幸福な王子だとは思っていない。それは幸福な事なのか 不幸なのかはわからないが 家族や自国の大地を守るため命を懸けている者には「ハイデガーなどクソくらえ」だろうと思った

私が今信じられるのは W・H・オーデン の詩だけかもしれない

第二次世界大戦が起こる前日書かれた オーデンの言葉 以前にも載せたが 私は何度も何度も噛み締める必要がある 幸福な王子として生を享けた者もオーデンの言葉から逃れられない気がする

 

「1939年9月1日」September 1, 1939(壺齋散人訳)

  52番街の安酒場で
  不安と恐れを抱きながら
  俺がひとりで座りこんでいると
  低劣でいい加減な10年間が
  希望もなしに消え去っていく
  怒りと恐怖の感情が
  地上のところどころで
  波のように渦巻いて
  俺たちの生活にまとわりつき
  名状しがたい死の匂いが
  9月の夜を挑発する

  まともな学問なら
  ルターから今日に到るまで
  文明を狂気に駆り立てた
  すべての罪業を明らかにできる
  リンツで起きたことを見よ
  どんなに巨大な妄想が
  異様な神を作り出したことか
  どんな生徒たちだって
  人に対してなされた悪と
  それへの復讐について
  学習するようになるものさ

  追放の身のトゥキディデスは  トゥキディデス:紀元前アテネとスパルタの戦い等を記録した『歴史』著者
  デモクラシーについて何がいえるか
  独裁者たちが何をするか
  老人たちが墓場にむかって
  どんな繰言を繰り返すか
  そのことをよく知っていた
  その上で歴史書に書き込んだのだ
  追い払われた啓蒙運動
  習慣を形成することの苦しみ
  失敗と痛恨と
  人はこれらすべてを甘受せねばならぬと

  盲目の摩天楼が
  そのすさまじい高度によって
  人間の集合的な力を示している
  その中立の空の中に
  諸民族の言葉が競い合って
  空虚な命題を注ぎ込む
  だがだれも幸福な夢を
  何時までも見続けていられない
  鏡の中から現れてくるのは
  帝国主義の顔と
  国際的な悪行だ

  バーに並んだ顔は
  平凡な毎日にしがみついている
  灯りは消してはならぬ
  音楽はいつでもやってなきゃならぬ
  何もかもが共謀して
  この砦を家具のように
  見せかけようとしている
  俺たちがいったいどこにいるのか
  わからせまいとするかのように
  俺たちときては幽霊のいる森の中で迷い
  夜を怖がっている子どもみたいだ

  戦闘的なたわごとも
  重要人物の演説も
  俺たちの望みほど粗野じゃない
  狂ったニジンスキーが  ニジンスキー:20世紀最高のダンサー・振付師 団長ディアギレフに解雇された
  ディアギレフについて語ったことは
  普通の人間についてもいえることだ
  男と女の骨の髄にまで
  染み付いている罪業は
  持ち得ないものを熱望することだ
  普遍的な愛では満足できずに
  自分ひとりだけが愛されることを熱望する

  因習の闇から
  倫理的な生活へと
  おびただしい数の通勤客がやってきて
  いつもどおり朝の誓言をする
  「今日も女房を大事にして一生懸命働くぞ」
  頼りない亭主たちが毎日起きるのは
  変り映えのしないゲームをするためさ
  だれがこいつらを解放してやれるだろう
  だれがつんぼの耳に語りかけられるだろう
  だれがおしの口に語らせられるだろう

  もつれた嘘を解くために
  俺が持っているのはひとつの声だけだ
  その嘘はありふれた人間の
  脳みそに巣くうロマンティックな嘘だったり
  空を手探りする高層ビルの権威に巣くう嘘だったりする
  この世に国家などというものはない
  また孤独な人間というものもない
  飢えは市民にも警察官にも
  わけ隔てなく訪れる
  俺たちはお互いに愛し合わねばならぬのだ

  宵闇の中で無防備に
  世界は昏睡して横たわっている
  だが正義がメッセージを交し合うところ
  そういうところではいたるところ
  点々と光が交差して
  まぶしい耀きを放っている
  俺もエロスと泥から作られており
  同じく否定と絶望に
  付きまとわれている限りは
  この光の交差のような
  肯定の炎を放ってみたいものだ

 

肯定の炎は私の中にあるか…?

 

 

kei

トゥキディデス 紀元前460年頃 - 紀元前395年)『戦史』より

… 名誉心、恐怖心、利得心という何よりも強い動機のとりことなったわれらは、手にしたものを絶対に手放すまいとしているにすぎない。また強者が弱者を従えるのは古来世のつね、けっしてわれらがその先例を設けたわけではない。… 正義を説くのもよかろう、だが力によって獲得できる獲物が現れたとき、正邪の分別にかかずらわって侵略を控える人間などあろうはずがない。

 人は紀元前400年から変わっていない…